Myy(ミー)です。
人生半ばにしてメルボルンへ移住。メルボルン生活もセカンドステージへ突入。
素敵なカフェやレストラン、メルボルン生活情報は”皆無”のMyyのロバ耳ブログです。



考え方は年とともに。。。

昔コマーシャルでやってましたよね?


”亭主元気で留守がいい” って。

 

当時まだティーンエイジャーだったけど、このコピーを聞いて驚いたもんです。

 

子供ながらに、夫婦ってのは基本好きで結婚してお互いに相手を必要として

二人で一つ!的なもんだと思ってたわけです。

そんな大事な旦那が家にいないほうがいいって一体全体

どんなおばはんやねん!ぐうたら主婦!と多感な十代の少女は憤慨したわけですよ。

ありえないわ~、そんな大人になんて絶対にならない!って炬燵の中で丸くなって思ってました。

 

いやぁでもね~なぜかこの前このコピーが突然頭に浮かんでね~。

当時これ考えたコピーライターって天才だな~って思って。

いやぁ、どう考えても天才だわ。

 

 

 

 

 

 

 

私がオバさんになっても

、、、って歌を聴いてた頃は、ほんとに自分がおばさんになるとは思ってなかったけど、今ではおばさんと呼ばれて当然の立派な中年のMyy。だからなのかどうかはわからないけど、この木何の木?気になる木ぃい~じゃないが、気になる事ぉお~があれこれとある。

 

つい先日、今年の2月に日本に行ったときちょろっと知り合った日本人の女の子からメールを頂いた。その時に彼女が近いうちにメルボルンにワーキングホリデーだったか留学だったかに行くと言っていたのを聞いて、懐の大きいフレンドリーなオージー魂の塊であるJさん(というのは本人評価)とMyyは、じゃあよかったらメルボルンでなにか困ったことがあったら連絡してくれていいよ、と彼女とメルアドを交換した。

ま、良くある話。


半年以上が経ちそのことはほとんど忘れていた今日この頃、少し前に彼女からメールが届いた。

 

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J&Myy

ハァ~イ!最後に話をしてからすごい時間たっちゃたけど、、、元気にしてた?私のこと覚えてる?私****で働いてて、その時にあなた達にあったんだけど。とうとうメルボルンに**月**日に行くことになったの。すっごい楽しみ!もしよかったらいつか会わない? ありがと!

(翻訳 : Myy )

********************

 

という改行なしの短いメール。

なるほどね、こういうのって今の時代の若者らしいっていうの?

 

しかしなんていうか、、、私が彼女と同じくらいの年の時にもしかしたら自分の親と同じぐらいの年かもしれない人、そして一回ちょろっとあっただけの人にこんな風にメール書いただろうか?いやぁ~書かなかっただろうな~。書けないよなぁ~。


英語だって年上の人に対する話し方とか、そして面識がほとんどない人に対する態度、とか色々あるじゃん?ガッチガチにかしこまった書き方じゃなくても、なんていうか、丁寧な印象を与える書き方ってあるじゃん?

 

で、誠実でだれに対しても真摯な態度で接するMyy(というのも本人評価)はお返事してあげなきゃ。。。と後日メールを送った。

 

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***さん

 

メールくださってありがとう。お返事するのがおそくなってしまってごめんなさい。

私たちは元気に過ごしていました。メルボルンは長くて憂鬱な冬から解放されて

今は穏やかな春の日差しを楽しんでいる毎日です。実は私たち数週間まえに日本から戻ったばかりなんですよ。

 

***さんがビザの取得をされたとのこと、おめでとうございます。

オーストラリアには勉強のためにこられるのですか?

確か話してくれたと思いますが思い出せません。


私たちは喜んで***さんがメルボルンに居る間にぜひお会いしたいと思います。

気兼ねなく私たちにメッセージしてくださいね。

 

それではメルボルンで会いましょう。

 

色々とうまくいくことを祈っています。

 

Myy&J

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ま、一応英語でメッセージがきたので英語で返信した。

 

そしてあれから2週間、彼女からは何の音沙汰もなし。

きっと渡航の準備でいそがしいのでしょう。

 

おもうに。。。

 

やはりおばさんになったらミニスカートなんてはかなくていいんだと思うな。そしておじさんになっても若い子が好き!な彼なんて心配する値なし~!

 

PS: 最後の部分が意味不明な、おばさんじゃないあなたへ。

森高千里の “私がおばさんになっても” って歌が昔流行ったのよ~

歌詞はこちら
http://www.utamap.com/showkasi.php?surl=37103

 

 

 

 

 

 

 

カルマ

口のなかに入れた途端にとろける舌触り、甘すぎず苦すぎずまろやかな風味、そして見た目は繊細な流線型をしたまるでジュエリーのような美しいカットのチョコレート。
お値段一粒400円

 

世の中にはたくさんのチョコレートがスーパーマーケットやコンビニでも買える。あ、お気軽に電車を待っている間に駅にある売店でも買えるし、自動販売機でだって買えるね。

 

でももしあなたがジュエリーみたいな一粒400円のチョコレートを食べたいと思ったらどこに買いに行きますか?そしてあなたはコンビニだったら2箱のチョコレートが買えるかもしれない400円を一粒のチョコレートに支払う意味がわかりますか?


もし!あなたがとろけるジュエリーのようなおいしいチョコレートが食べたい、でも一粒に400円は払えない。400円だったらコンビにで2箱のチョコレートが買える。そう思ってコンビ二でチョコレートを買いました。そしたらやっぱり味は自分が想像していた繊細なとろけるチョコレートとは全く違っていた。デザインに特徴もなく味もただの砂糖とカカオの塊のようだった。

 

それに対してあなたはそのチョコレートのできが悪い、といってチョコレートを責めますか?コンビニを責めますか? 一粒に400円は払えないからチョコレートを買う選択肢がほとんどなかった自分についてはどう思いますか?

 

文句言えないよね?

 

おいしいチョコレートが食べたかったらおいしいチョコレートが売っている店に行かなきゃいけない。もしその店のおいしいチョコレートが高すぎて自分に買えないとしたら、自分が買える値段のチョコレートに納得してありがたく食べたらいい。

でもやっぱりどうしてもおいしいチョコレートが食べたかったら、それが買えるように努力してお金を作ったらいい。

努力はするつもりはない。でもおいしいチョコレートは食べたい。400円は払うつもりないけど400円の価値のチョコレートは欲しい。だからチョコレートの会社さん、私のために私が望むようなチョコレートを作ってよ。作ってくれないの?そんなのってひどいわ、訴えるわよ!

 

それってなにか違うよね?

  

ほかに思いつくたとえがなくてチョコレートを使って書いてみたけど、こういう人が日本にもオーストラリアにもたくさんいるね。。。自分の身近な周りの友人知人にはいないけど、生きているとたまにこういうふうに自分勝手な被害者意識まんまんの嫌な人に遭遇する。

 

おなかがすいた。なにか食べなければいけない。だから身近にあったゴミ箱の残飯をあさってみたんです。そしたらおなかを壊してしまいました。私はなんて運が悪いんでしょう。私は被害者です。

 

こういうことを言う人ともいえるかな。


誰が悪いってあなたですよ。すべては原因と結果。


Myyは自分の人生に責任もって生きていきたいね。自分のことを弱者扱いして被害者主張をすることにパワーそそいで生きていくような人間になりたくない。もし自分が選んだ道が最終的に不本意な結果に導かれる羽目になったとしても、被害者ずらをしてだれかを責めたりするようなどうしようもない人にはなりたくないね。

 

今日のひとりごと~。む~~~~ん。

 

 

 

 

クリッスマス

 

気が付いたらもうクリスマスまで一カ月じゃぁないですか。

日本はどんどん寒くなってきてるんでしょうね~。 はっときづいたら今年ももうこんな時期、ってことで週末はいよいよ面倒なプロジェクトに着手しましたよ。


え?なにって?


クリスマスプロジェクトですよ。

つまらないでしょ~?


まずは5キロのターキーをお肉屋さんで予約。そして今年はちょっとつくるのがおそくなったかも?のクリスマスケーキを焼きました。

 
完成イメージ・こんなの↓

f:id:Four_seasons_in_one_day:20151123083643j:plain

このフルーツたっぷりのケーキ、これからクリスマスまでの間ときおりブランデーを

しみこませながらゆっくり熟成(?)させ、クリスマスの1週間ぐらい前になったらまずはマジパンで回りをしっかりくるみます。
その後マジパンがある程度乾いたら今度はたっぷりとアイシングでコーティング。でもって最後にフォンダンで飾り付け。

週末はまずこのフルーツケーキ部分を作ったわけですが、これオーブンでトータル4時間半も焼くんですよっつ!奥さんっつ!

毎年このクリスマスケーキを焼く時に思い出すことがあります。

 

むか~し勤めていた渋谷のとある会社で。 Myyは外人ばかりの部署でオージーの上司のもとで働いていました。このMyyの上司メルボルン出身の日本語完璧なおじさんで、今思えばここでも実はメルボルンとの縁がうっすらと見え隠れしてたのかも、と思うけど。


この上司の日本人の奥様が、この時期になると毎年このフルーツたっぷりのクリスマスケーキを焼いてオフィスに届けてくれてたんですね。あの時は、へ?こういうのがクリスマスケーキなの?ふ~ん、、っという感じでありがたみもなくお味見させていただいてましたが、部署内のオージーやニュージーがみんなすごく喜んでこのケーキをありがたそう~に食べていたことを思い出します。


奥様のケーキは、なかなかオージーでも作れないすごいケーキだよ!作るのすごく大変なんだよ~とみな口をそろえて言っていましたが当時はまったくピンとこなかった。

 

でも今そのケーキを自分がここで毎年焼くことになるなんてねぇ~。不思議なもんです。

良妻賢母という感じの素敵な奥様だったのですが、旦那がオージーだけど英語が全くダメ。でも旦那の家族とも話したいし、できないままじゃだめでしょ、頑張りたいのよ~

と言ってたけど、家では英語禁止令が布かれていたそうな。


なぜかって、、この上司、家以外でたくさん日本人のあやしい、難解な英語をきいてストレスがたまるんだから家でぐらいゆっくり日本語でストレスフリーな会話をさせてほしい、ってのが理由だったらしいんですけどね。

 

あら、ちょっとムカつく。

実はね、先月日本に行ったとき、ある日の夕方渋谷の駅構内を歩いていたらなんとこの上司とすれ違ったのですよ。
いやぁ、ほとんど変わりがなくてすぐわかったわ~。20年以上も前の時代の上司なんでねぇ、、ちょっと話しかけるのは勇気が必要。Myyはかつての上司を3度見くらいしたけど彼はそのまま人ごみの中に消えていきました。

 

私今メルボルンに住んでるんですよっていったら驚くのかね~。奥様は今年もクリスマスケーキを焼いてるんでしょうか。

 

いろんな思い出や感情が心の中を行き来する今日この頃です。

さて

お久しぶりでございます。

1年も間が空いてしまったので皆さんMyyのブログのことなど忘れてしまっていることでしょう。いや、時々思い出してもらっていると信じましょう。

 

さて、メルボルンに本格移住をして早2年とちょっと。本来人生の中では収穫の季節に入っている方々が多いであろう年齢のMyy。しかしこの2年の間で永住権がとれ、(普通の)結婚もしやっとAUSで種まきができる状態となった感じのMyy。相変わらずのマイペースでやっております。


が、そろそろなにか企てましょうかね。


というわけで、このブログもセカンドシーズンとして再開します。またよろしくね。


さてしかし、、どう攻めようか?いや、ほんとに攻められるのか?

 

 

 

 

 

 

世界で(Myyが) もっとも好きな都市

1位 東京
2位 バンコク
3位 パース
4位 メルボルン


しかし、どんな映画が好きか?って質問に答える時と同じで、恋愛映画だったらこれが一番、アクションものだったらこれが一番、とかいうように、それぞれの都市のナニに注目するかで順位は違うんだけどさ。

 

でもって、普通に考えてメルボルンはいいトコだと思うけど。

でもさ、東京とかバンコクにあるものがここにはないんだよね。それって"物”のことじゃないですよ。あ、でも東京とかバンコクにある不要なものはここは無いよね。もちろん無くていいんだけど。
そういうさ、東京とかバンコクにある”あんなこと”がMyyは恋しいんだな~。


だからね、なんか物足りない感じぃなメルボルン。

 

どうだまいったか!世界一住みやすい都市メルボルン!


って別にメルボルンはMyyにそんなに愛されたいとも思ってないし、気にしちゃいないと思うけね。


わかるわぁ~

だいぶ前にもふれたことがあるけど、既婚子供2ありのお友達がだれかと一緒にいるって、家族と一緒って大変だよ、という話からの流れで、私いっつも一人になりたいって思ってるよ!と言っていたけどさ。

ほんとだよね!わかるわ~それ!いまMyyは一人なりたい!気持ちがマックス!

キッチンはね、使ったら使う前と全く同じ状態にしてから去って欲しいしね、使ったものはちゃんとしまってほしいしね、点けたものは消し欲しいしね、自分ひとりで最後まで責任持てないことはやらないでほしいわけ!一体全体あの人たち何なの!ホントイラつくわ~。ストレス最高潮だわ~。一人で静かに整理整頓されたきれいな部屋でくつろがせてください。そして余計な問題をどうか起こさないでください。

K子ちゃん、今あなたの言っていたセリフがつくづく身に沁みます。


欲しいものは忘れたころにやってくる <その5・最終回>

*ここから初めて読む方はこちらを読んでからだとわかり易いかも。
欲しいものは忘れたころにやってくる   <その1>
欲しいものは忘れたころにやってくる   <その2>
欲しいものは忘れたころにやってくる   <その3>
欲しいものは忘れたころにやってくる   <その4>

必要なものを提出し、フルタイムで仕事も許されビザの審査待ちの間合法的にAUSに滞在できるブリッジングビザも取得し、出国しなきゃいけない日とかビザが切れる日というのに追い立てられることもない平和な日々がやってきました。この時点で一つだけ計算違い、というかそれはちと困る、となったのはこのビザの審査待ちの間AUSを出国できない=日本に帰れない、ということ。厳密には出国できるんだけど、そのためにはまた再入国のためのビザを取らないといけないし、出国することをイミグレーションに連絡したり、と細かな面倒くさいことが結構あったり、それよりもなによりもビザの審査においては次のステップに面接!というのが頭にあったので日本に帰ってしまうとその日程が先送りになってしまうかも、という思いからAUSにとどまることにしたMyy。4月に帰った時に、また7月頃くるからいいやぁ、と残してしまったことや、ほんとはこっちの冬に着たかった洋服などもまだ日本にあったのですがこういったことはすべてあきらめました。

その後誰か人に会うたびに、ビザどうした?と聞かれ、事の流れとビザの申請代金を話すと、オーストラリア生まれのビザのことなど関係ない人生の人々からは、ぇえ~そんなに大変なの?その金額って取りすぎよねぇ~!といわれ、同じビザを経験した移民の人々は、最近永住ビザおりたけど、結局この国にきてから7年かかったわよぁ~、とか、結婚してからビザの申請したけど、最初の2年はテンポラリーだから永住権までまだ先長いよ~とか、彼らの面接の時の様子をきいたりしてなんとなくこれから自分の身に起こるであろうことや、この先のスケジュールを想像したMyyとJさん。

面接に関しては、ある人は、ほんと映画のグリーンカード(覚えてますか?ジェラール・ドパルデューよかったね)みたいで、歯ブラシの色とかきかれたよ~というし、ある人(英語ネイティブのオーストラリア人です)は、面接を担当したイミグレーションのオフィサーの英語がかなり怪しくて何言っているかよくわからなかった(怒)とか、ある人は超くだらない質問だよ、最後に喧嘩した時の理由は?とか、そんなどーでもいいことを聞かれるよ、、と。

ま、そんなもんなんでしょう。

でもとにかくいろんなことを考えても準備できることもないし、とりあえず普通に暮らせるし、13か月から14か月審査期間だっていうんだからまってるしかないっしょ。ま、面接の連絡は3か月くらいで来るんじゃないかな?それに色々かき集めた知り合いの体験談、ネットの口コミ、イミグレーションのウェブから得る情報などなど合わせて考えると、日本は内戦のある国でもないし、極端にまずしい国でもないし、宗教がらみの規制が厳しい国でもないし、Myyは難民認定されるような国出身じゃない日本国籍保持者、まったくもってAUSの財政に影響与える可能性がある人物ではないからにして、審査は1年もかからないんじゃ?年明けには日本にいけるかな?とまぁ、これがMyyとJさんの浅はかな、そしてビザの申請を済ませたことですっかりストレスから解放されたウカレポンチな考えだとはこの時点では思っておりませんでした。

3か月待ち、あらそういえば連絡こないね、でももうクリスマスにはいっちゃうから担当者ホリデー中なのかもね。6か月待ち、あら?まだなにも言われないね?あんたのところになんかメール届いてない?ちゃんとチェックしてる?とJさん(してますよ!もちろん!)はっきりいって6か月もたったらビザのことなどすっかり忘れたMyy。時たま思い出して焦るということはあったけどもう毎日の生活があまりにも普通にオーストラリアのパターンになじんでしまっているので、思い出しても一日ですぐに忘れてしまう。そんな繰り返しでアッというまに12か月。

でもさすがに12か月たつと、まぁ~~ったく!なんの連絡もないということに少々不安&疑問がわきましたねぇ。なにかもっと証拠品が必要であればその件について連絡がきてもいいし、問題がないのであれば少なくとも面接の連絡がきてもいいじゃない?もしかして健康診断の結果に問題があるのか?まさか結核? (でももしそうだったらとっくに出国命令がでてますけどね)周りの人も、え?それは長すぎじゃない?とか、どうしたんだろうね、とマジ心配顔をするので、さすがにMyyとJさんもウチラは正真正銘のウカレポンチだったのか?と自分達を顧みる日々。
このころになると、自分はいつ日本に帰れるんだろう?ということばかりが気になって、ここからの日々は目隠しされた状態でいばらの道を歩かされている捕虜の気分。


で、この時点での心配、というか懸念事項として、

まさか担当者、申請書類一式なくしたんでは?( そういうこともあるらしい )
担当者いまだにホリデー中? (3か月ホリデーとかあり得るし)
申請してから1年以上たっているということは健康診断書の期限切れ、また検査?再提出? (そういうケース多いそうです。ちなみに診断料 AU$ 400 ほど)

この辺が気になるところでした。でも、気にしたところでどうにもできない。問い合わせるのにも14か月まってからじゃないとできないし (意外と生真面目にいわれたことを守るウカレポンチのウチラ) というわけでとにかく14か月たつまではジィーッツとまっておりました。
でもこのころ再度Myyはネットの口コミをあさりまくり、やはり15か月の間なんの連絡もない人も結構いるということや、実は2年のテンポラリー永住ビザをスキップして最初から永住ビザがもらえてしまう人がいる、ということを初めて知りました。

で、少ないながら一生懸命この2年スキップの人たちの体験談を探しまくった結果、もしかしてMyyも最初から永住ビザがでるかも、、、という思いへたどり着いたのでした。まぁ、なんでそうなるかについてはホントにこのビザの申請をした人じゃないとわかりにくいことだらけだと思うので省略しますけど、単純に付き合いが長い(遠距離ながら真剣交際約4年)、家や土地の共同名義はないにしても財産面でどうみても夫婦であると見て取れる、とか、、、色々と考えられることがあり、ま、もしほんとにそうなったとしたら14か月待つのなんて無問題~~~2年間をテンポラリーで過ごすか過ごさないのかというのはかなりな違いじゃごさいませんか、奥さん!と気分は一気に奈落の底から天へと上る~ということを繰り返すのでした。

そして2014年9月のはじめ、14か月たったところでJさんがイミグレに電話。もう8月の終わりの頃のJさんは、エンジンがかかった状態でブンブンアクセルを踏み倒すF1ドライバーさながら電話する日をいまかいまかとまっておりました。

イミグレの電話はなかなかつながらないことで有名ですが、1時間ほどホールドになったあとやっとつながり、Myyのビザ申請番号やパスポート番号など必要なID、番号を伝えるJさん。そして最初にイミグレから得た答えは、、、、

え?そんな申請者いませんけど?


ドーーン。。。。。。。。。。。



ええ、ええ、もちろんですとも。そんな答えがかえってくるかもしれないとは十分予想ができました。これとにたような経験すでにしてるもんね。(にたような経験は過去の記事、こちらです)

でなんだかんだとやり取りがあって、最終的には、ではスポンサー情報からこの申請を探してみましょう、ということで今度はJさんのパスポートなどのID情報を聞かれ、そこからやっとMyyの申請情報が見つかりました。で、ビザの審査の進行状況は?と聞くJさんに返された答えは、、、

あぁ~、、、どうにもこうにもなんにもなっていません。書類は受け取っているし内容にも問題はなさそうだけど、まだなぁ~んの処理も進んでないよ。受け取った時と同じ状態。

 

え。

そんなのってアリ?

ま、アリなんでしょうね。だって自分の身に今起こってるんだから。その電話にでた担当者は、まぁこんな感じだと来月にはなにかしらの連絡がいくと思うからもうちょっと待っててチョ!と。

怒ることを忘れ、書類がなくなっていなくてよかったという安心感のみでいっぱいのMyyは、もう日本の社会ではやっていけないでしょうか?


そしてその後その担当者がいうように、イミグレーションからある日メールが届いたのですが、あんたはビザの申請をしてから1年以上がたっている。ついては、最近の様子がわかる以下の証拠品となりうる書類と、さらに警察より発行されるオーストラリアの無罪証明書を28日以内に送付するように!という内容。

イミグレに電話してそのうち連絡がいくと思うといわれた時に、ひそかに次の連絡はビザ取得のお知らせかも!と思っていたウカレポンチなカップルはこのメールで撃沈。だってまた1年前とおんなじような書類を作るわけ?と思ったら溜息しかでない。しかも1年以上がたってるからって、、、、それって私の責任?でもこういうところ闘争心の強いJさんは、おりゃぁ!と逆にやる気がでるらしいけど。

でもそういわれたら言われたことをするしかない。もちろん去年よりは作業は楽で、主に申請した後の2013年からつい最近までの様子がわかるもの、っていうことで量もすくないし、すっかりここの生活に溶け込んでしまった今となれば提出するものも簡単に見つけられるのでそんなにストレスはありません。ま、でもそれでもこの時期Jさんはかなり忙しかったのでやはり昨年と同じようにあーでもないこーでもないともめることはあったのですけど。

で、書類の束を郵送しほっとした2日後にMyyのもとにメールが届きました。外出先だったのでちらっと送信者をみてイミグレだ、とわかった時に、2日前に書類おくったから受領しましたよ、の連絡メールだね、と思ったMyy。
メールのタイトルに目をうつすと Residence と Grant の文字がチラリと。え?もうビザがでた?まさか?で、ショッピングセンターの片隅でメールを開封し添付ファイルを凝視。そこにはVisa grant notice のタイトルが! そして読み進めるとそこにはしっかりと取得ビザの種類のところにPartner Residence とかいてあるではござーませんか。

終わったぁ~。

心のどこかでは最初から永住もらえるかもしれない、、、という気持ちがあったけどホントにそうなるとは期待してなかったのでこれをみた時はうれしかった。もちろんいつかはこうなってもらわないとこまるし、最終的なビザ取得は起こるべくして起こることだからお祝い気分になるようなことでもないけれど、これでなんとなく人並みになれたような気がしてそれだけでも気分がちがいます。

というわけで、、、

5回にわけてビザにまつわる話を書いてみましたが、最後はなんてあっさり。細かい話をしようと思うとそれは色々とありますが、まあこんなところが大まかな雰囲気です。これでやっとゆっくり日本にいくスケジュールも考えられるという感じですが、他のいろんなことはぜひお会いした時にベラベラしたいと思っています。

しかし、、、結局は実質のビザの審査、そして発行までは約2か月ってことになるじゃないのか?と思うと、、、、やればできるんじゃン、あなた達!と思うのでした。

日本でお会いしましょう。