Myy(ミー)です。
人生半ばにしてメルボルンへ移住。メルボルン生活もセカンドステージへ突入。
素敵なカフェやレストラン、メルボルン生活情報は”皆無”のMyyのロバ耳ブログです。



An American in Tokyo

こういうことたまにあるんだけど、ある日突然昔の友達の名前、もしくは昔の姿が脈略なく突然心に浮かんで、そういえばあの人どうしてるんだろうとふと思う。―> とりあえずgoogleの検索窓で名前を打ち込んでみる ―> A:一発でみつかる場合(なにがしかの形で世の中で活躍されている ex.会社経営、店経営、大学講師とか、または論文などなど) B:FacebookなどのSNS系のサイトへつながるきっかけがありそこから、、、など。(あ、こんな風に書くとなんかMyyがネチネチ友人知人をスパイしているみたいに聞こえますがそうではありませんからね

ま、とにかく今回も今から約20年ちょっと前の職場の友達Hさんのことが突然背景黒地に白の漢字フルネームのビジュアルとして頭に浮かんだ。で、気になってGoogleさんにお尋ねしたらかなり簡単にそのHさんが今どうしているかっていうのがわかってしまった。

 

 

Hさんとは当時はわりと親しくしていて、そういやMyyがワーホリでオーストラリアへ出発する!という日も成田まで見送りに来てくれたんだよね。それから数年の間手紙でのやり取りが続いて、数年後またMyyがバックパッカー放浪の旅に出る頃彼女は色々あってOLから看護婦に転身すべく看護学校にかよっていて忙しく、その頃から電話で話したり会ったりっていうのはしなくなっていたかな。同時に横須賀の米兵と知り合って付き合っている時期でもあってそれを嬉しそうに報告してくれた。彼女は英語が好き、欧米文化にあこがれ、アメリカに住みたいって思っていた子だからそういう意味では理想の彼を見つけた。。。と本人もMyyも思っていた。

で、その後Myyが日本に戻ってくる頃には看護学校を卒業していたと思うけど、お互いに生活環境がどんどん変わっていた時期でそのまま気づいた時には連絡先もわからない状態になってしまっていた。で、その後しばらくはHさんどうしてるかな、とか思ったりすることもあったんだけど、そういう時期をすぎたらHさんのことはまったく思い出すこともなくなった。

 

 

 

だからこの前突然にHさんの名前が頭に浮かんだのは不思議なんだけど、他にもおんなじように長い間全く思い出さなかった人のことが突然背景黒地に白の漢字フルネームのビジュアルで浮かんで、ネットで検索したら消息がわかった!という人が何人かいる。そのうちの一人は検索したらちょうど名前が浮かんだ半年ぐらい前にお亡くなりになっていたっていうショックなこともあった。きっとMyyに亡くなったってことを知らせたかったのかなぁとか思ったよ。

 

 

 

でHさんですが、確かいまから15年くらい前のこと。
ある日どうしてもだるくて会社に行きたくなかったMyyは仮病を使い家で昼のワイドショー的なものをぼんやり見てた。そしたらその番組の今日の特集!とかで“外国人と結婚した日本人女性”というコーナーがあって、なぜかわからんけどそのタイトルを見た瞬間 “あ、なんかこれ知っている人が出てきそう、うん、でてくるわ” と思っていたらホントに!Hさんが登場した!!!いやぁびっくりしたけど、なんとなくだれか出てきそうって思ったのもあったから、やっぱりね的な冷静な自分もいてなんとも不思議な感覚だった。

でその番組から彼女はその後当時付き合っていた米兵と結婚して今は横浜のほうで看護婦、結婚式はアメリカで挙げて彼のお母さんもいい人で喜んでくれて~などなどのことが分かった。そうなんだぁ~よかったね、とMyyは心のなかでHさんに話しかけてHさんのことはそのまま忘れた。きっとこれからも幸せにやっていけるよ、よかったねHさん、そう思ったらなんとなく自分のなかでのHさんの存在がすうっと薄くなっていった。

それからまた数年がたち、Myyがタイで仕入の仕事をしていた時。
たぶんこれもおそらくもう約10年くらいまえになってしまうかもだけど、バイヤーならだれでも買付にいく観光客にも有名なバンコクのあるマーケットでHさんらしき人を見かけた。見た瞬間、んん?Hさん?と思ったけど、何年も時間が過ぎていたし、汗だくで荷物を抱え込んだ状態でもしかしたらHさんじゃないかもしれないだれかに、声をかける勇気がなくて、どうしよう。。。。と思っているうちに人ごみにまぎれてHさんらしき人は消えてしまった。

でも後から考えて、あれやっぱりHさんにちがいないよ、と思った。だって向こうもMyyと同じように、んん?という目でこっち見てたしね。でその時に、会わなくなって何年たっても偶然にテレビで見かけたり、ましてやバンコクのこんなところで見かけるってのは不思議な縁があるのかな?その縁を簡単にすててしまう自分ってよくないかしら?とちょっと後悔した。

 

でもまたそれ以降Hさんのことは数日前まで全く思い出さすことはなかった。

で。

 

数日前にネットでわかったHさんの現在、youtubeでのコメントやFacebook の内容から、現在男の子一人のシングルマザーで福生の基地で看護婦として働いているということがわかった。アメリカに渡ったのは1998年だった、ということもわかった。

シングルマザーに至るには、元夫の暴力、子供虐待、浮気、ドラッグ、永遠に続く無職などなど他にもたくさん、が原因で、18年の結婚生活に2年前にピリオド。これ読んだときMyyの目は驚きでおそらく2倍ぐらい大きくなった。そういうのってホントにあるんだ、と世間知らずなアホのように思った。そんなつらい生活をアメリカで何年もしていたなんて、、、そう思ったら苦しくなった。

で、今は日本で息子と幸せに暮らしている、というような下りを読んで、そうかぁ離婚してやっぱりアメリカに未練はなく日本に帰ってきたんだね、そうかそうか~。これまで壮絶な人生をものすごいパワーで頑張ってアメリカ生きてきたんだろうけど、やっぱり落ち着くところは日本なんだね。そうだよ、そのほうがいいよ。日本で新しい生活を始めてるんだね、よかったね、と思った。

 

 

が。

 

 

いろいろ読み進めているうちに、Myyの目は驚きで2倍から3倍にさらに大きくなった。

Hさんはね、Myyが思っているような離婚したから日本へ戻ってくるなんていうような軟な人じゃなかった。むかしから彼女はタフだったけど、さまざまな経験からもっともっとタフなママさんになっていた。で、アメリカでは大変な毎日の中で子供育てながら大学の看護科にいったらしい。そしてもう日本国籍じゃないらしい。で、アメリカ空軍に入隊して看護婦をしていると。。。。

だからHさんは、アメリカから日本に赴任しているアメリカ人看護婦@横田基地勤務っていうのが正しいわけで。。。。

 

あぁ、、Hさん、頑張ったね!すごいよ。

Myyからすると、ネットの文面から読み取れる小さな情報からでも苦労したんだなぁ~、よくここまで頑張ってきたなぁ~と思うばかりだけど、そもそも幸福も不幸も苦労もすべて相対的なものでしかない。だからHさんがどんな風にアメリカでの境遇で頑張ってきたのか泣いてきたのかは、Myyの幸福論や不幸度で考えた場合のものでしかないわけで、そんなのはHさんに失礼かもしれない。

 

しかしどう考えても、環境や事情はちがうとはいえ日本とちがった土壌で生きるということを考えた時、Hさんのやっていることは今のMyyにはおいそれとはできない。いやぁ、頑張ろワタシ!とHさんの人生をのぞき見させてもらって思いましたよ。繰り返しだけど幸福も苦労も相対的なもの、だからMyyをみてあんたは甘いね、という人もいるだろうし、たいへんだねぇ~と思う人もいるでしょう。

 

Myyが今後はオーストラリアで生活するつもり、ってことを話した同年代の友達に、この年になってよくそんな大それたことができるね、とか、自由でいいね、とか批判なんだかうらやましがられているのかわからない微妙なことをけっこう色々言われた。

 

そんなことを言われるたびに自分にいろんな疑問質問を投げかけてみたけれど、どうしても同じ答えがでた。で、結果今ここでこんなブログを書いたりしているわけだけど、Hさんの様子を知ってなんでも自分次第だという当たり前なことを改めて思い出させてもらったし、Hさんの強さと自由さを見習いたいとおもった。Hさん、懐かしいよ!

 

んで。

 

やっぱりこんな風に偶然見つけたHさん、FBで連絡しようと思えばできるんだけどどうしよう。。。。

 

やっぱりコンタクトしたほうがいいかなぁ。でもなんか勇気ないなぁ。でもしないとまた何年後かに後悔するかなぁ。。

 

とネチコク思案するMyyでした。