Myy(ミー)です。
人生半ばにしてメルボルンへ移住。メルボルン生活もセカンドステージへ突入。
素敵なカフェやレストラン、メルボルン生活情報は”皆無”のMyyのロバ耳ブログです。



欲しいものは忘れたころにやってくる <その5・最終回>

*ここから初めて読む方はこちらを読んでからだとわかり易いかも。
欲しいものは忘れたころにやってくる   <その1>
欲しいものは忘れたころにやってくる   <その2>
欲しいものは忘れたころにやってくる   <その3>
欲しいものは忘れたころにやってくる   <その4>

必要なものを提出し、フルタイムで仕事も許されビザの審査待ちの間合法的にAUSに滞在できるブリッジングビザも取得し、出国しなきゃいけない日とかビザが切れる日というのに追い立てられることもない平和な日々がやってきました。この時点で一つだけ計算違い、というかそれはちと困る、となったのはこのビザの審査待ちの間AUSを出国できない=日本に帰れない、ということ。厳密には出国できるんだけど、そのためにはまた再入国のためのビザを取らないといけないし、出国することをイミグレーションに連絡したり、と細かな面倒くさいことが結構あったり、それよりもなによりもビザの審査においては次のステップに面接!というのが頭にあったので日本に帰ってしまうとその日程が先送りになってしまうかも、という思いからAUSにとどまることにしたMyy。4月に帰った時に、また7月頃くるからいいやぁ、と残してしまったことや、ほんとはこっちの冬に着たかった洋服などもまだ日本にあったのですがこういったことはすべてあきらめました。

その後誰か人に会うたびに、ビザどうした?と聞かれ、事の流れとビザの申請代金を話すと、オーストラリア生まれのビザのことなど関係ない人生の人々からは、ぇえ~そんなに大変なの?その金額って取りすぎよねぇ~!といわれ、同じビザを経験した移民の人々は、最近永住ビザおりたけど、結局この国にきてから7年かかったわよぁ~、とか、結婚してからビザの申請したけど、最初の2年はテンポラリーだから永住権までまだ先長いよ~とか、彼らの面接の時の様子をきいたりしてなんとなくこれから自分の身に起こるであろうことや、この先のスケジュールを想像したMyyとJさん。

面接に関しては、ある人は、ほんと映画のグリーンカード(覚えてますか?ジェラール・ドパルデューよかったね)みたいで、歯ブラシの色とかきかれたよ~というし、ある人(英語ネイティブのオーストラリア人です)は、面接を担当したイミグレーションのオフィサーの英語がかなり怪しくて何言っているかよくわからなかった(怒)とか、ある人は超くだらない質問だよ、最後に喧嘩した時の理由は?とか、そんなどーでもいいことを聞かれるよ、、と。

ま、そんなもんなんでしょう。

でもとにかくいろんなことを考えても準備できることもないし、とりあえず普通に暮らせるし、13か月から14か月審査期間だっていうんだからまってるしかないっしょ。ま、面接の連絡は3か月くらいで来るんじゃないかな?それに色々かき集めた知り合いの体験談、ネットの口コミ、イミグレーションのウェブから得る情報などなど合わせて考えると、日本は内戦のある国でもないし、極端にまずしい国でもないし、宗教がらみの規制が厳しい国でもないし、Myyは難民認定されるような国出身じゃない日本国籍保持者、まったくもってAUSの財政に影響与える可能性がある人物ではないからにして、審査は1年もかからないんじゃ?年明けには日本にいけるかな?とまぁ、これがMyyとJさんの浅はかな、そしてビザの申請を済ませたことですっかりストレスから解放されたウカレポンチな考えだとはこの時点では思っておりませんでした。

3か月待ち、あらそういえば連絡こないね、でももうクリスマスにはいっちゃうから担当者ホリデー中なのかもね。6か月待ち、あら?まだなにも言われないね?あんたのところになんかメール届いてない?ちゃんとチェックしてる?とJさん(してますよ!もちろん!)はっきりいって6か月もたったらビザのことなどすっかり忘れたMyy。時たま思い出して焦るということはあったけどもう毎日の生活があまりにも普通にオーストラリアのパターンになじんでしまっているので、思い出しても一日ですぐに忘れてしまう。そんな繰り返しでアッというまに12か月。

でもさすがに12か月たつと、まぁ~~ったく!なんの連絡もないということに少々不安&疑問がわきましたねぇ。なにかもっと証拠品が必要であればその件について連絡がきてもいいし、問題がないのであれば少なくとも面接の連絡がきてもいいじゃない?もしかして健康診断の結果に問題があるのか?まさか結核? (でももしそうだったらとっくに出国命令がでてますけどね)周りの人も、え?それは長すぎじゃない?とか、どうしたんだろうね、とマジ心配顔をするので、さすがにMyyとJさんもウチラは正真正銘のウカレポンチだったのか?と自分達を顧みる日々。
このころになると、自分はいつ日本に帰れるんだろう?ということばかりが気になって、ここからの日々は目隠しされた状態でいばらの道を歩かされている捕虜の気分。


で、この時点での心配、というか懸念事項として、

まさか担当者、申請書類一式なくしたんでは?( そういうこともあるらしい )
担当者いまだにホリデー中? (3か月ホリデーとかあり得るし)
申請してから1年以上たっているということは健康診断書の期限切れ、また検査?再提出? (そういうケース多いそうです。ちなみに診断料 AU$ 400 ほど)

この辺が気になるところでした。でも、気にしたところでどうにもできない。問い合わせるのにも14か月まってからじゃないとできないし (意外と生真面目にいわれたことを守るウカレポンチのウチラ) というわけでとにかく14か月たつまではジィーッツとまっておりました。
でもこのころ再度Myyはネットの口コミをあさりまくり、やはり15か月の間なんの連絡もない人も結構いるということや、実は2年のテンポラリー永住ビザをスキップして最初から永住ビザがもらえてしまう人がいる、ということを初めて知りました。

で、少ないながら一生懸命この2年スキップの人たちの体験談を探しまくった結果、もしかしてMyyも最初から永住ビザがでるかも、、、という思いへたどり着いたのでした。まぁ、なんでそうなるかについてはホントにこのビザの申請をした人じゃないとわかりにくいことだらけだと思うので省略しますけど、単純に付き合いが長い(遠距離ながら真剣交際約4年)、家や土地の共同名義はないにしても財産面でどうみても夫婦であると見て取れる、とか、、、色々と考えられることがあり、ま、もしほんとにそうなったとしたら14か月待つのなんて無問題~~~2年間をテンポラリーで過ごすか過ごさないのかというのはかなりな違いじゃごさいませんか、奥さん!と気分は一気に奈落の底から天へと上る~ということを繰り返すのでした。

そして2014年9月のはじめ、14か月たったところでJさんがイミグレに電話。もう8月の終わりの頃のJさんは、エンジンがかかった状態でブンブンアクセルを踏み倒すF1ドライバーさながら電話する日をいまかいまかとまっておりました。

イミグレの電話はなかなかつながらないことで有名ですが、1時間ほどホールドになったあとやっとつながり、Myyのビザ申請番号やパスポート番号など必要なID、番号を伝えるJさん。そして最初にイミグレから得た答えは、、、、

え?そんな申請者いませんけど?


ドーーン。。。。。。。。。。。



ええ、ええ、もちろんですとも。そんな答えがかえってくるかもしれないとは十分予想ができました。これとにたような経験すでにしてるもんね。(にたような経験は過去の記事、こちらです)

でなんだかんだとやり取りがあって、最終的には、ではスポンサー情報からこの申請を探してみましょう、ということで今度はJさんのパスポートなどのID情報を聞かれ、そこからやっとMyyの申請情報が見つかりました。で、ビザの審査の進行状況は?と聞くJさんに返された答えは、、、

あぁ~、、、どうにもこうにもなんにもなっていません。書類は受け取っているし内容にも問題はなさそうだけど、まだなぁ~んの処理も進んでないよ。受け取った時と同じ状態。

 

え。

そんなのってアリ?

ま、アリなんでしょうね。だって自分の身に今起こってるんだから。その電話にでた担当者は、まぁこんな感じだと来月にはなにかしらの連絡がいくと思うからもうちょっと待っててチョ!と。

怒ることを忘れ、書類がなくなっていなくてよかったという安心感のみでいっぱいのMyyは、もう日本の社会ではやっていけないでしょうか?


そしてその後その担当者がいうように、イミグレーションからある日メールが届いたのですが、あんたはビザの申請をしてから1年以上がたっている。ついては、最近の様子がわかる以下の証拠品となりうる書類と、さらに警察より発行されるオーストラリアの無罪証明書を28日以内に送付するように!という内容。

イミグレに電話してそのうち連絡がいくと思うといわれた時に、ひそかに次の連絡はビザ取得のお知らせかも!と思っていたウカレポンチなカップルはこのメールで撃沈。だってまた1年前とおんなじような書類を作るわけ?と思ったら溜息しかでない。しかも1年以上がたってるからって、、、、それって私の責任?でもこういうところ闘争心の強いJさんは、おりゃぁ!と逆にやる気がでるらしいけど。

でもそういわれたら言われたことをするしかない。もちろん去年よりは作業は楽で、主に申請した後の2013年からつい最近までの様子がわかるもの、っていうことで量もすくないし、すっかりここの生活に溶け込んでしまった今となれば提出するものも簡単に見つけられるのでそんなにストレスはありません。ま、でもそれでもこの時期Jさんはかなり忙しかったのでやはり昨年と同じようにあーでもないこーでもないともめることはあったのですけど。

で、書類の束を郵送しほっとした2日後にMyyのもとにメールが届きました。外出先だったのでちらっと送信者をみてイミグレだ、とわかった時に、2日前に書類おくったから受領しましたよ、の連絡メールだね、と思ったMyy。
メールのタイトルに目をうつすと Residence と Grant の文字がチラリと。え?もうビザがでた?まさか?で、ショッピングセンターの片隅でメールを開封し添付ファイルを凝視。そこにはVisa grant notice のタイトルが! そして読み進めるとそこにはしっかりと取得ビザの種類のところにPartner Residence とかいてあるではござーませんか。

終わったぁ~。

心のどこかでは最初から永住もらえるかもしれない、、、という気持ちがあったけどホントにそうなるとは期待してなかったのでこれをみた時はうれしかった。もちろんいつかはこうなってもらわないとこまるし、最終的なビザ取得は起こるべくして起こることだからお祝い気分になるようなことでもないけれど、これでなんとなく人並みになれたような気がしてそれだけでも気分がちがいます。

というわけで、、、

5回にわけてビザにまつわる話を書いてみましたが、最後はなんてあっさり。細かい話をしようと思うとそれは色々とありますが、まあこんなところが大まかな雰囲気です。これでやっとゆっくり日本にいくスケジュールも考えられるという感じですが、他のいろんなことはぜひお会いした時にベラベラしたいと思っています。

しかし、、、結局は実質のビザの審査、そして発行までは約2か月ってことになるじゃないのか?と思うと、、、、やればできるんじゃン、あなた達!と思うのでした。

日本でお会いしましょう。