Myy(ミー)です。
人生半ばにしてメルボルンへ移住。メルボルン生活もセカンドステージへ突入。
素敵なカフェやレストラン、メルボルン生活情報は”皆無”のMyyのロバ耳ブログです。



欲しいものは忘れたころにやってくる <1>

ねえさん、事件です!ってのはかなり古すぎ?
最近日本では、獣医さん、事件ですよ!とかいうのがあったみたいだけど。


昨日ですね、イミグレーションからなんとMyyのパーマネントビザが下りました~というメールが届きました。そうこれは姉さん事件です!じゃなくて、永住権だよ、おっかさん!なんです~~~。
2013年の6月末に、ビザのアプライをしてから待つこと約15か月。そして審査待ちの間日本へも帰れず。思った以上にこの自分の都合で日本に帰れないってのがストレスだったこの15か月。やっとこの縛りから解放されましたぁん!


今までビザのことや状況は、時々メールで個々にお友達や家族には報告などしてきましたが、でも実際オーストラリアのビザや社会と関係のない生活をしていたらピンとこないことだらけ、理解しがたいことだらけ、信じられないことだらけ。そしてそのために余計な心配をかけたくないし、詮索されたくないし、という思いから実は十分な説明をしてなかったと思います。だって自分がまだ東京にいた時にMyyの経験したようなビザやこの国にまつわる話を聞いたら、え?なにその話?え?って思ったと思うから。

Myyのビザは通常、アプライする → イミグレの案内によると通常審査期間は現在13か月程度、その間面接などあり → 審査OKだったらまずは暫定的な永住権が下りる → 暫定永住権取得の2年後に再度審査 → このあと晴れてほんものの永住ビザ取得


という流れなのですが、なんとMyyはこの2年の暫定永住権をスキップして永住権もらえてしまいました!結果的にスピード取得なのかも、と喜びの舞。しかも面接なかった。

 

この15か月の間、ずっとストレス感じながらすごしていたかっていうと実はまったくそうではなくて、はっきりいって普段の生活では自分がブリッジングビザで滞在してるなんてことはすっかり忘れるくらい特に制約のない日々。だから2013年6月の応募書類を準備していた時には超ストレスだったけど、それ以外は日本に帰れないこと以外は問題がなかった。あ、でも時折そういやビザどうなってるんだろう、なんの連絡もないわ、って思うとストレス感じたりして、それでネットで色々な人の体験談や口コミなどを読み気休めにしたり、暗くなったりはしたかな。

 
*ブリッジングビザ  (ビザ審査の間合法的にここに居られるように発行されている暫定的ビザ。でも仕事もフルタイムでできるし日本の国保みたいなメディケアももらえる。ま、メデイケアは実際役立たずだけど)

 

でも、もうこういうのからは一切解放されて、しかも2年後に同じようなことをやらなくていい!ってのは、ねえさん、事件です!なんですよ!

 

20云年前、初めてワーホリでオーストラリアに来た時、そりゃあオーストラリアが楽しくてその数年後には再度1周するためだけに3か月もここにきて、でもMyyの人生で一度もオーストラリアの永住権ほしいなぁと思ったこともないし、こんな立派な中年おばさんになってからここに引っ越すことになろうとも思ったことはないけれど、、、

でもやっぱりこういう風にパーマネントビザ保持者になるとうれしいです。だってこれがなかったらJさんと一緒にここで人生送るのにも支障がでてきますから。


てなわけで、、、

とりあえずこれでゆっくり日本行の予定もたてられるし、気持ち的にひと段落おちついたので、今日からしばらくの間は何回かにわけてMyyのビザ物語を書いてみようかとおもいます。家族や友達には今まで端折って説明してきたことをもう少しこれで納得してもらえるかなと思うし、そんなにドラマチックなこともないし、人それぞれの状況によって進み方や必要になってくるものも違うだろうけど、もし、だれかが同じビザを考えているひとがこれをよんで少しでも気休めになれたらいいかな、と思って。

人の体験談をそのまま鵜呑みにしたり参考にしたりってのはさすがにMyyも人生経験ある程度ある立派な中年なのでなかったけど、そういうのを読んで同じような気持ちで過ごしている人いるんだぁ、とか、やっぱり?15か月もまったく連絡ない人いるのね?と知るだけでも意味があったので。


ではまたね!うふっ <3