Myy(ミー)です。
人生半ばにしてメルボルンへ移住。メルボルン生活もセカンドステージへ突入。
素敵なカフェやレストラン、メルボルン生活情報は”皆無”のMyyのロバ耳ブログです。



欲しいものは忘れたころにやってくる <その3>

*ここから初めて読む方はこちらを読んでからだとわかり易いかも。
欲しいものは忘れたころにやってくる <その1>
欲しいものは忘れたころにやってくる    <その2>

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さて2013年4月の日本滞在。Myyの滞在は約1か月ほどでした。Jさんは1か月のホリデーは取れないのであとから日本にやってきて最後の10日ほどを一緒に過ごしました。Myyは往復カンタス航空の利用でしたが、中国、台湾で用があったJさんは、メルボルンからキャセイ航空でその2か所を経由してから日本へきました。というわけで帰りも飛行機は別々。なので、メルボルンに二人ともほぼ同じ時間に到着できるようなスケジュールをくんで、先にJさんが日本を出国、その後MyyがカンタスでJさんを追いかけるというスタイルになりました。

メルボルンはカンタスの直行便が成田からないので、成田を夜出発する便でシドニーに朝到着、そしてシドニーで入国後、ドメスティックに移動してメルボルンへ。JさんはメルボルンのインターナショナルにMyyより約2時間早く到着し、その後ドメスティックでシドニーから来るMyyと落ち合う、という完璧なスケジュール。

朝のシドニー空港は到着の便がおおいので結構混んでいます。なのでぼやぼやしてると国内線への移動がかなりアセアセ状態で精神衛生上あまりよろしくありません。いつだったかかなり時間がたりなかったことがあるので、この時はわりと余裕をもった乗継便を予約していました。しかし、時間に余裕をもったはずなのに結局国内線への移動は時間ギリギリ。

スーツケースをゴロゴロと引きずりながらシドニー空港内を走る羽目になったのにはこんな理由があったのです。

入国審査の長い列から解放され、やっとカウンターの前に進みでたMyy。無言でパスポートを受け取った入国審査官パスポートとパソコンの画面を見比べながらMyyをチラ見すること2回。ここで、ん?なんか、、、や・ば・い?と思ったMyy。でもべつに何にも悪いことしてないけどね、だって観光ビザの有効期限はまだあと4か月ほど残っているし。しかしオフィサーは無言でパスポートをパタンと閉じると、あんたあっちへ行ってという感じでパスポートを持つ手でカウンターの後ろにたっていた別のオフィサーを指差しました。ぁあ~もしかして私マズイ人だと思われちゃったのかしらん。いままでネットで読むのみだった他人の体験談、入国審査で別室おくりの強制送還の可能性がMyyに降りかかったのでした。

で、そのカウンターの後ろで待っていた担当オフィサー、かなぁ~りインドなまりの強いインド系の方、ニコニコしながら、おはよー元気?今回はなに?なんでオーストラリアへ?と、これまたかなぁ~りカジュアルに歩きながら話しを始めてきたので、Myyもとりあえずカジュアルに簡単に、私オーストラリア人のパートナーがいるので彼のところを訪ねます、と話しました。

実はJさん、子供の時からオーストラリアに住んでいて、オーストラリアの生活のほうが長いけど正真正銘のイギリス人。あの時代に移民してきた人のなかではわりとめずらしくいまだにオーストラリア国籍をとっておりません。でも普通自分でもオーストラリア人って言ってるし、私もいちいちそれをこんな移民大国のオーストラリアで説明しても意味ないし、オフィシャルなものでなければだいたい彼はオージーということで話を済ませてしまいます。

そのインドさん(これから先インドさんでいいか?)は、この段階でもまだかなりカジュアル、なんか普通に観光客に話しかけてくる地元の人のレベルで、あ、そう彼は?どこに住んでる?今日はこのあとどこにいくの?とか付き合いは長いのかしら?というようなことを聞かれ、Myyもまたカジュアルに簡単に受け答えしつつ移動、そして入国審査エリアの端っこのほうにある長椅子に座らせられました。

ここでインドさん、ちょっと雰囲気変わりましたねぇ~。イスにすわったら急に質問攻め。彼の名前は?生年月日は?仕事は?と矢継ぎ早に質問され、ちとMyyもこれ本気ださないとなんかやばそう、って気になりましたよ。で、かんたんなJさん情報を得るとインドさんは、ちょっとまってて、といって別室へ消えました。待つこと15分から20分。長椅子にはMyyと同じようにオフィサーに付き添われてイスに連れてこられた中国人と思われるおっさんと若者、そしてその横をスイスイと入国審査を終えた人々がMyy達を一瞥し通り過ぎていきます。

ち、ち、チガウ。
わたし、違うよ。違法入国ジャない。横の人はどうかしらないけど。


一生懸命目で訴えたけど、ま、だれも気にとめてなどいなかったことでしょう。そしてインドさんがなにか紙切れをひらひらさせながら戻ってきました。そして語気荒く

あなた、違うじゃない!彼の名前は **** **** **** (ファーストネーム・ミドルネーム・ファミリーネーム) それに彼はオーストラリア人じゃないじゃない!


いやぁ、たしかにおっしゃるとうりですがね。だって雰囲気が最初あまりにもカジュアルだったから、名前はとくにミドルネームまで言わなかったし(だって普段そんなんつかわないじゃん)、国籍もきかれなかったからとりあえず普通にオーストラリアに住んでいる人っていう意味合い強く、オージーのパートナーっていったんだけどサ。

でもこれでMyyも、こりゃかなり真剣に一語一句気を付けて話しをしないと揚げ足取られて変な方向へ進んでしまうかも、と目が覚めその後の会話は結構口のなかが渇きましたね~。で、MyyとJさん両方の、住所、電話番号、仕事内容(これは二人の名刺をもっていたので両方コピー取られた)どのくらいの付き合い期間があってそれはどの程度のものなのか、など重箱のすみをつつくような感じで聞かれて、今回の旅行についてはだれと一緒でどのように過ごしていたのか、日本をでたのはいつか、などなど聞かれました。そしてまたインドさんは別室へいって数枚の紙きれをもちかえり、MyyとJさんのオーストラリア入出国履歴、そしてとくにJさんの入出国履歴についてチェックしだしました。この時、名前と生年月日ぐらいで、こんなに簡単にすぐにデータが抽出できちゃうんだ~すげ~!と思いましたなぁ~。

でもMyyもここ1年分くらいの履歴はよく覚えているけどそれ以上前は何月頃というくらいしか覚えていません。ま、それについてはインドさんもそんなにしつこくなかったけど、1年くらい前までさかのぼってのことは結構細かくきかれましたよ。ちょうどこのシドニーでの出来事の1年前には、Jさんは息子Dクンと日本に来たのですが、その時の分についてはDクンの履歴も調べたもんね。

で、なんだかんだと尋問されたのちの最後の質問は、

インドさん : じゃあきくけど、このJは今どこにいるわけ?
Myy : ええと、今っていうのは今まさにこの時間ですか?
インドさん : そうよ、そういう意味、今まさにこの時間!
Myy : えっと、この時間ですとおそらく香港からの飛行機は少し前にメルボルンに到着しているはずですから今頃メルボルンの空港で私を待っているはずです。
インドさん : (しばらくの間プリントアウトされた紙きれをながめる)          ふん、そうね、あなたのいっていることは辻褄があうわ。彼もう入国してるわね。


辻褄があう~!?私違法滞在を疑われていたのね~(・・・って最初から気づけよ~)
でもこれでやっとなんとなく解放ムードとなりいくつかのことを言われました。あなたみたいな人は観光ビザで出入りするんじゃなくて、ちゃんとした永住につながるビザがあるのを知っている?あなたは十分にそのビザを申請できる資格があると思うからできるだけ早くそのビザにアプライしたほうがいいわ。とまさにどうにかしなきゃ、とおもいつつ後回しにしていたビザのこと。そして、ずっとJさんの入出国履歴と思われる紙切れをながめていたインドさんは、彼もねぇ~、なんでオーストラリア国籍とらないのかしら?そうね、彼はそうするべきだわ、ぜひそうするように言っておいて、と言われました。 あ、そういえば最後の質問をされる前に、彼は旅行の履歴が多すぎる、みたいなこともいいましたね。

ま、はっきりいってこの辺はぜ~んぶ、あんたに関係ないでしょ、なんの問題が?って感じなのですが。だってMyyは1年有効な観光ビザを持っていて、何回出入りしようがそんなの個人の勝手、なんの違反もしていないし。Jさんがオーストラリア国民になるかならないかも個人の勝手。ま、でもこの時点ではなにをどう考えてもMyyの立場が弱いわけで、はいっ、そりゃもうおっしゃるとうりでございます。私たちもビザ申請の話をしているんで早めにやりますです。Jの野郎にはしっかりとオーストラリア国籍を検討するようにいっておきます、しかしなんであのバカ野郎はいまだにイギリス人のままなんでしょうかね、ほんとにまったく、、、すんません!という感じで受け答えをしておいた。

次のフライトは?あなた急いだほうがいいわ、といわれてやっと解放。バックをわしづかみにして去ろうとしたMyyにインドさんは、でもわかってるわよね!?あなた働いたらだめだからね!働けないのよ~~!今回のことはちゃんと記録に残しておきますからねぇ~~!と声で追いかけてきました。わかってる。結局一番の懸念は、税金払わず不法労働されては困るってとこなんだよね。Jさん、もしかしてアジア人をこっちに連れてきて働かせているブローカーと思われたかもしれないですねぇ~。
ちなみに、この時に隣に座っていた香港から学生ビザでやってきた男の子(話はぜんぶまるぎこえなんでわかった)かなり厳しく追及されていて最終的には、入国をみとめられずにこのまま国に送り返すといわれていました。 Myyも1年有効のビザとはいえ、たしかに3か月オーストラリア滞在し数週間日本へ帰国、その後またオーストラリアへ戻り3か月滞在、というパターンを2回繰り返していたらたしかにあんたなんの観光してんのサ!と疑いの目を向けられてもしょうがない、とは思います。でもこういう風にMyyが話すと100%の確率でオージー達は、そんなん関係ないし!どんな観光の仕方しようともそんなの人の勝手、そういうパターンの観光の人もいるかもしれないじゃん!とにかくビザの決まりを守ってるんだからなにも言われる筋合いないし!とMyy本人より怒りをあらわにします。こういう時に、あぁ、なんて私は人のいい相手の気持ちがわかりすぎてしまう日本人なんだろうって思いますね~、ふはは。

結局1時間ほど拘束されていたMyy。スーツケースちゃんと残っているかなとかなり心配。すっかり人がいなくなり閑散とした雰囲気のなか、カラカラカラとさびしく回り続けるターンテーブルの横で、ポツーン・・とピックアップを待っていました。そのスーツケースをゴロゴロゴロと引きずりながら国内線へ向かって走るMyy。やばい、これはホントにこれからの3か月の間にビザの申請をしないと次回はホントに入国できなくなる、早くしなくちゃ、早くしなくちゃ、早くJさんにこのこと話さなきゃ、話さなきゃ、早くしなくちゃ、早く早く、とスーツケースのゴロゴロに合わせて心の中で繰り返したのでした。

そしてメルボルンへ戻り重い腰をあげ申請へ向けて行動開始。しかしこのビザ申請の書類作成でちょっとしたことからJさんとも喧嘩になったり、そして自分でも忘れている過去の出来事を思い出さなけりゃいけないことに一苦労。 あーもう早く終わらせたーい、という気持ちでいっぱい。ストレスに弱いMyyは体重がすっかり減ってしまったのでした。・・・・・っていうのはウソだけど、けっこう疲れたね~。

まだ次回へつづくよ。読んでくれてありがとう!