Myy(ミー)です。
人生半ばにしてメルボルンへ移住。メルボルン生活もセカンドステージへ突入。
素敵なカフェやレストラン、メルボルン生活情報は”皆無”のMyyのロバ耳ブログです。



The Redland, The last view <Part 2>

 

で、Myyの回想は続きます。

美容師さんがワーホリ中だというので、実は私23年前にワーホリしたのよ~、と話すと、なんと彼女は、ええっつ?そんな昔にワーキングホリデーなんてあったんですか?私このこと知ったのつい数年前ですよ、、、、って。

そんな昔って、、、、確かにMyyがワーホリをしたあの時代は今とはワーホリのイメージとかも違ってたろうし、確かに今ほどのワーホリ人口は無かったかもだけど、、、自分が年を取ったのは重々承知していますが、こういう風に言われるとなんかますますそれを思い知らされますなぁ。

当時は日本からワーキングホリデーって、オーストラリア、カナダ、ニュージーランドしかビザがなかったけど今っていろんなところにこのビザで行けるんだよね。この前家から車で20分程度の大型ショッピングセンターでサングラスを買ったとき、そこの店員さんも韓国からワーキングホリデーで来たって言ってた。

で二人とも、休みは週に1回程度、毎日8時間労働、となんか全然ホリデーじゃないんじゃ?という生活をしているようで、

それはいいのかな?と思ったMyyですが、、まぁ、ひとそれぞれやりたいことは違うでしょうからいいんでしょうね。

いろんなことを思い出して、そういえばあれもこれも書いておこうかな~と思ったMyyでしたが、なんか日付が変わったらその気持ちが萎えてしまったので、ワーホリの話はおしまいにすることにします。っていうか、スタートしてなかった感じもしますが。。。。


あの当時貴重な時間を過ごした大好きな国オーストラリアに今住んでいますが、今のここでの生活はあの頃のこの国での常識やライフスタイルとはまったく違うなぁとよく思います。同じ国とはいえ時間も場所も違うんだから当然といえば当然だけど。

そういえばメルボルンやシドニーに住んでいる人が、アデレードに行くという人に対して、“え?アデレードに行くの?どうやってここから30分と10年前に戻るの?”というアデレードのことを田舎だと揶揄するようなジョークがあります。(ちょっとこの10年という部分は定かでないのですが、、、5年だったか?それとも15年?思い出せない) メルボルンとアデレードは30分時差があって、メルボルンの方が進んでる。なので、30分の時差を後戻りするだけでなく、どうやってあと10年も後戻りするの?(つまりアデレードはメルボルンより10年遅れているといいたい)というおっさんジョーク。

これを聞いた時に、じゃあ、もしアデレードじゃなくてパースだったらどうなるわけ?とJさんに聞いたら“パース?2時間と20年だな” と東に住む人たちにとってパースはさらに田舎扱い。(パースはメルボルンより2時間遅れてます)

とはいえ、2年前にパースに行ったときに、その町の変わり様にビックら。都会になったっていうか、、、う~ん、なんていうんでしょうか、ちょっとバブルな香り(場所柄ちょっとした鉱山ブームがあるからね)と移民難民の人が増えてちと治安が良くない感じになっていたっていうか。。。

でもMyyにとってのパースは記憶の中の大好きな特別な場所で、いつまでも永遠に1990年のオーストラリアでありつづけ、いわばMyyにとってのオーストラリア・オリジナルバージョン。そして今の自分が住んでいるオーストラリアはリミックスバージョンとでもいいましょうか。

今の生活や住んでいる地域では見ることができないけど、Myyにとってのオーストラリアは、当時オーストラリアを去る時にぐんぐん高度をあげていく飛行機の窓から見ていたどこまでもどこまでも続く赤土のアウトバック。これからもきっとかぞえきれないくらいオーストラリアのどこかの空港から飛行機に乗って日本やいろんなところに行くことがあるだろうし、そのたびに飛行機の窓からいろんな景色をみるのだろうけど、Myyにとってのオーストラリアの景色は、あの時の赤土が最後にみたオーストラリアだなと思うのでした。