Myy(ミー)です。
人生半ばにしてメルボルンへ移住。メルボルン生活もセカンドステージへ突入。
素敵なカフェやレストラン、メルボルン生活情報は”皆無”のMyyのロバ耳ブログです。



欲しいものは忘れたころにやってくる <その4>

*ここから初めて読む方はこちらを読んでからだとわかり易いかも。
欲しいものは忘れたころにやってくる <その1>
欲しいものは忘れたころにやってくる  <その2>
欲しいものは忘れたころにやってくる  <その3>

 

さて帰宅後すぐにビザの申請をしようと固く決心したMyyとJさん。まずはインターネットでイミグレーションのサイトから パートナー移民(配偶者、***デファクトパートナー、婚約者)用のブックレット全58ページをダウンロード。

***法的に結婚していないカップル(同性カップルも含まれる)はデファクト関係といわれます。法的には夫婦契約をしていないけど精神的経済的に人生を共有していて社会的にも夫婦と認められる生活を送っているカップルというのがおおよそ定義。日本でいう内縁関係っていうのとはいまいちイメージが違う感じなんじゃないかな? 法的に婚姻関係があるかどうかっていうのは社会のシステム的にもモラル的にもあんまり重要視されてないよね。欧米の国々にはこういうところ他にもいっぱいありますけど。というわけで法的婚姻関係の有無はビザ取得にあたってもとりたてて有利でもないのです。紙の上での結婚はだれでもできるもんね、そういうのが偽装結婚のビザ取得詐欺(?)なわけで。だから色々審査があるわけで***


この中に、ビザについての説明からアプライする対象者としてふさわしいかどうか確認できるチェック項目や申請に必要な書類についてなどの一通りが書いてあります。自分に必要なところだけ一通り読んで概要をつかんだらなんとなく安心(?)してあんなに焦った気持ちものど元過ぎればなんとやら、しばらくビザの件放置すること1か月。いやのど元過ぎればというよりも、これからやらなきゃいけない仕事量の多さにビビリましてこの期に及んでもまだいやなことを先送りにしていたっていうほうが正しいんだけど。

それでも、申請に必要な書類として日本の戸籍や日本での無罪証明書など取り寄せに時間がかかる&英語への翻訳が必要なものについてはこの時点で用意を始めていました。あ、あと健康診断も予約したね。スポンサー(Jさんはスポンサーと呼ばれる)のほうも、出生証明書やら婚姻証明書(過去の)、そして離婚証明書とかビジネスステイトメント(早い話がどれだけ稼いでいてどれだけ税金納めていてのあたり)とか、スポンサーも結構必要な書類があってそれらをなるべく早く用意するように、とお願いしました。

でもね~Jさんも仕事が忙しいのでそうそうビザにかかりっきりになれないとはわかっていても、Myyに輪をかけてギリギリまで仕事に手を付けない人なので一体いつこれらのものを準備してくれるわけ?っていうのをいっつもイライラしながら待ってなくちゃいけないわけです。自分も色々やらなくちゃいけないことがあって、それも大変だわ~っとプレッシャーでしたが自分のことは自分でコントロールできるから頭の中で段取りができている。でも人の段取りはどうなっているかわからないからイライラする。

ネットで人の体験談よんだりすると突然気持ちが焦る、というなんていうか魔がさす日?っていうんでしょうかね、そういう日が定期的にやってくるわけです。そうなると、あんたは一体全体いつビザについての準備をしてくれるのか?なに?今週末?でも先週も同じこと言ってやらなかったよね?ホントはやる気ないんじゃないの?もしかしてホントは私にビザが下りなければいいと思っているんじゃないのか?ホントは私を日本に追い返したいけど自分の責任にしたくないからビザの準備適当にしてビザが出なければいいって思ってるんじゃないのか?というすごい方向に思考が進んでしまうのです。で、なんでもだまって心の中にしまっておけないMyyはそれをそっくりそのままJさんにぶちまけるので、どんどん会話は闇へと向かうのでした。


そしてこんなことをしている間もずっとMyyの心のなかでひっかかっていることがありまして。ブックレットにはデファクト関係のわかり易い考え方として同居生活が1年あること、という説明があります。(ちなみに蛇足ですが離婚する場合も別居期間が1年ないと離婚させてもらえません。日本みたいに届けを出すだけで離婚できるとなるとここの人たち全員がすぐに離婚しちゃうからね、喧嘩した時点で即!と言っていた人いますけど、これ激しく同意できますね。わはは) 

<その2>にも書きましたがMyyはビザの申請の時点でJさんと知り合って約5年半、真剣遠距離約4年、同居の期間は10か月、そしてこの同居10か月の間に2回日本に帰っています。ブックレットには1年同居していることが“絶対条件”とは書いてありませんが、これについてはよくネットでも話題になっていて、実際に同居期間が数か月足りなくてビザがもらえなかったという体験談もいくつか見ました。でも、よくブックレットを読みこむと、デファクト関係にあるというのは、健やかなるときも、病めるときも、喜びのときも、悲しみのときも、富めるときも、貧しいときも、これを愛し、これを敬い、これを慰め、これを助け、その命ある限り、真心を尽くすことを誓いあっている状況なわけです(・・・というのはMyyとJさんの解釈)
将来を誓い合っていても宗教上の理由や仕事の理由で一緒にくらせない人もいるしね。(・・・というのもMyyとJさんの解釈)


しかし、イミグレーションとしては、毎日一体どのくらいの申請がされているのかわからないけど膨大な数のカップルがほんものの関係かどうかっていうのを審査しなきゃいけないわけで、そのためには証拠をだしてちょうだいな、と言わざるをえないわけで、そうなるとなにがわかりやすい証拠になりうるか、といえば、デファクト関係とはまぁ1年は同居している関係だったらそう考えられる、という意味でブックレットに提示しているのだとはおもいます。

で、同居しているということの証明というのは、土地・財産を二人の名義で共有していたり、家賃を折半していたり、1年分の光熱費の領収書の名義が二人の名義になっていたり、銀行の口座が共同名義になっていたり、っていう経済的に人生を共有している証拠があってこそ同居していると言え、そしてさらに、二人が家族や友人達からカップルだと認識されている証拠を示す必要があって、それは、二人&友人家族との写真や二人あての手紙、正式な二人あての結婚式の招待状、二人が離れている期間(同居してない期間)があったらその間のコミュニケーションの証拠(電話履歴スカイプ履歴メールのやり取りとか)などなど。あとはMyyとJさんの関係を証明してイミグレーションに提出してくれるAUS国籍かもしくは永住者最低二人からのお手紙。


そんな感じのこまごましたものから、イミグレーション指定のきまったフォーム、Myy2種類(人物査定みたいなものもあります)スポンサー1種、二人の出会いや付き合いそして今後どんなふうに人生をともにしていくのかというレポートそれぞれが一通作成。 Myyの人物査定についての書類などは、学歴職歴はもちろんのこと、もう10年前からいままでの渡航歴を細かく記入。これが自分でも忘れていた過去を一生懸命思い出さなければならないという思いによらず過酷な作業。

 

でもってこんなことをあーでもない、こーでもないとやっている毎日のなか定期的にやってくる魔がさす日。


あんた1年同居してないんじゃない?だからビザ無理なんじゃ?とか、あんた光熱費からなにからなにまでJさん名義じゃない?銀行の共同口座ってこの前作ったけど、数か月しかつかってないよね?しかもあんたはまったくお金そこに入れてないじゃない?なに?え?Jさんのレポートってこれだけなわけ?すくなくない?(ちなみにMyyはA4で6ページ、Jさんは4ページ)とか。

このへんの悪魔の声が聞こえるともうMyyはいてもたってもいられなくて、脈略なくJさんにそっくりそのまま気持ちをぶちまける、そして二人は闇におちる。ということになってしまうわけです。もうほんとにいちど闇におちると会話はずっと平行線をたどり、お互いが意地でも自分の主張を通そうとする。そして最終的にはお互いの性格を批判する羽目になる、で、こんなことでこんなになるんだったらもうこの先やっていけない、もう日本へ帰ろうというかなり極端な気持ちになることも多々(っつーか毎回思った)ベッドにはいると目をとじて荷造りの段取りまで考えたりしたものです。あ、安い航空券のチェックもやったね。

もうこの流れをねぇ~1か月の間に何度もやるわけですよ、こんな中年になっても。ホントに疲れました。もうこれ言ったらこうなる、とか、こうしておけば闇にならない、とかわかっているのにやめられないんですよ。で毎回今から荷造りするわっ!ってなる。なんでこんなになっちゃうわけ?って思って同じビザを経験している人に話を聞くとやっぱり皆おんなじように喧嘩したりしたらしい。ネットの体験談を読んでも、何度も家をでた。でもだれも知っている人もいけるところもなくて一人で車を運転してマックで時間つぶして結局いやでも帰るところは家しかない、帰ろうってやった、とかね。泣けるね~。でもそういうのを読むと少しほっとしたりしましたねぇ~。あ、自分の状況は普通なんだな、って思って。

Jさんをよく御存じの方は想像つくかもだけど、あの人基本すごいポジティブシンキングな人。だからなにか仕事でも遊びでもいまからはじめる、となったらその先には成功しかなく一ミリも疑いをもたずに進むタイプ。まぁそうはいっても実際は仕事柄あらゆる事態を想定してそれぞれに対して対応策も考えてはいるけど、それよりも今の段階はすでにスタートしたプランをどう成功に導くかというほうが力を注ぐべきところなので、とりあえず必要ない時点では、それぞれの対応策を口にはしません。あとJさんはなんだかんだ言って大事なことに関しては頭のなかに綿密なスケジュールが常にあるタイプなので、最終的には締切日までにちゃんと書類が準備できるという自信があったんでしょうね。

なので、Myyのように思ったことをすぐ脈略なくぶちまける姿というのはネガティブにしかみえない。でこのネガティブっつーのがあの人のもっとも嫌いなもののひとつ。もちろんMyyもポジティブな部分もあったけど、でもポジティブな部分というのは問題がないわけだからあえて話題にはしない、ネガティブなところをピックアップしてそれをどうにかしたい、もしくは最悪の時のための準備をしておきたい、だからそのことを“今”話しておく必要がある、という流れなんだけどね。単にぐちぐちネガッてるわけじゃないんだけどさ。でもその辺を説明しようとしてもお互いが切れてしまった段階ではもうパタッと耳を閉じてしまっているからどうにもならない。

カップルの在り方は千差万別。たしかにビザの申請をした時点では、共有財産の名義もなかったし同居は10か月。そんな風に簡単に紙の上での証拠品だけで機械的に処理しようとすると、難しい状況だったかもしれません。でも、繰り返しますがカップルの在り方は千差万別。MyyとJさんの場合Jさんがほぼまるごと経済的にMyyの面倒をみているという証拠品はほかにいくらでもあったし、なぜ今家や土地が共同名義でないかのあたりについては二人の付き合いの歴史レポートのなかで二人とも触れているし、なぜ同居が10か月なのかという理由、そしてそれについての5年半前から今までのことをこまかに気持ちの動きとともにMyyもJさんもお互いがお互いの表現方法でレポートにしたたました。(またね、このJさん的書き方がMyyはなんか納得できなかったりしてさ、こういう風に書かない方がいいんじゃないか?とか二人の日付があっていないとか、Jさん的には重要じゃないと思うところがMyyは重要って思えたり、、、プラス、Jさん的には感動的なセンテンスがいくつもちりばめられたレポートになったと思っているようでしたが。男と女、ちがいますねぇ~)

それと単純なものとしては、5年半の間ほぼ毎日スカイプ、メール、電話のやり取りが一日に何度もあるというのがわかる、知りあってから今までのスカイプの交信履歴のログと、メールの受信送信の履歴がわかるものをハードコピーをとってプリント、

などなど細かに書いていくと終わらないのでこの辺はサクッと行きますが、自分達なりに経済的、精神的なものの共有と、共有してないものがあるならばなぜそうなっているかの説明みたいなこととか、あとはJさんがしっかりした仕事あるスポンサーであり、Myyも将来かならずやよい納税者になるであろうと思われることがわかるようなものなどなど、指定の申請フォームと様々な種類の二人の関係を証明する書類、厚さにすると約8cm、重さ1kg以上になる束を郵送したのでした。

そしてわすれてはならないこのビザの申請代金。Myyが申請した2013年6月末でお値段AUS$3975 、支払方法Jさんクレジットカード。7月からのビザ申請代金値上がりの数日前にぎりぎりセーフ。そしてそれはMyyの観光ビザの有効期限が切れる1週間前のことでした。

書類を送付した数日後にさっそくイミグレーションからメールが届きました。メールの内容は、間違いなく書類を受け取った、そして申請代金も受領した、内容に問題はない、これから審査にはいります、なお現在ビザの審査は最低でも13か月~14か月必要なので、とりあえずその間はイミグレーションに問い合わせをしないように!されてもお答えしません!ウチラいそがしいんで!というもので、Myyのビザ申請番号とかケースナンバーなど事務的なものがかいてあるものでした。

そしてそれと同時に、ビザの申請を受領された時点でブリッジングビザが発行され、これでとりあえずMyyは観光ビザがなくなったあともビザの審査待ちの間合法的にAUSに滞在でき、しかもフルタイムで仕事ができるステイタスを得たのでした。このメールをうけとって大喜びのJさん。とりあえず合法的に滞在が許可されたということだけで大喜びをするJさん。

この人はやっぱりわかっていない。。。

ブリッジングビザはブリッジングビザ。あくまでその場しのぎのビザじゃございませんか。Myyが必要なのは正々堂々となんの曇りもない気持ちでここで暮らしていけるビザ。とりあえずは2年のテンポラリーパートナービザ、そしてそのあとはまたおなじような申請書類を準備してそこで初めてパートナー永住ビザになるんですよ。大喜びするには早すぎるんじゃ?これは数年プロジェクトなんだよ!

書類を受理されホットした気持ちもすぐに消え失せ、これから先まだまだ続くこのプロジェクトの道のりを考えたMyy。 ま、とにかく出すものはだした。必要があればイミグレーションは追加書類の請求をしてくる。しばらくは待つのみ。

そして、次のステップは面接。・・・のはずだったけど。

ビザを申請してからの1年間どのような進展がありなにがMyyに起こったのか? 

次回最終回!今回も読んでくれてありがとね。

欲しいものは忘れたころにやってくる <その3>

*ここから初めて読む方はこちらを読んでからだとわかり易いかも。
欲しいものは忘れたころにやってくる <その1>
欲しいものは忘れたころにやってくる    <その2>

*********
さて2013年4月の日本滞在。Myyの滞在は約1か月ほどでした。Jさんは1か月のホリデーは取れないのであとから日本にやってきて最後の10日ほどを一緒に過ごしました。Myyは往復カンタス航空の利用でしたが、中国、台湾で用があったJさんは、メルボルンからキャセイ航空でその2か所を経由してから日本へきました。というわけで帰りも飛行機は別々。なので、メルボルンに二人ともほぼ同じ時間に到着できるようなスケジュールをくんで、先にJさんが日本を出国、その後MyyがカンタスでJさんを追いかけるというスタイルになりました。

メルボルンはカンタスの直行便が成田からないので、成田を夜出発する便でシドニーに朝到着、そしてシドニーで入国後、ドメスティックに移動してメルボルンへ。JさんはメルボルンのインターナショナルにMyyより約2時間早く到着し、その後ドメスティックでシドニーから来るMyyと落ち合う、という完璧なスケジュール。

朝のシドニー空港は到着の便がおおいので結構混んでいます。なのでぼやぼやしてると国内線への移動がかなりアセアセ状態で精神衛生上あまりよろしくありません。いつだったかかなり時間がたりなかったことがあるので、この時はわりと余裕をもった乗継便を予約していました。しかし、時間に余裕をもったはずなのに結局国内線への移動は時間ギリギリ。

スーツケースをゴロゴロと引きずりながらシドニー空港内を走る羽目になったのにはこんな理由があったのです。

入国審査の長い列から解放され、やっとカウンターの前に進みでたMyy。無言でパスポートを受け取った入国審査官パスポートとパソコンの画面を見比べながらMyyをチラ見すること2回。ここで、ん?なんか、、、や・ば・い?と思ったMyy。でもべつに何にも悪いことしてないけどね、だって観光ビザの有効期限はまだあと4か月ほど残っているし。しかしオフィサーは無言でパスポートをパタンと閉じると、あんたあっちへ行ってという感じでパスポートを持つ手でカウンターの後ろにたっていた別のオフィサーを指差しました。ぁあ~もしかして私マズイ人だと思われちゃったのかしらん。いままでネットで読むのみだった他人の体験談、入国審査で別室おくりの強制送還の可能性がMyyに降りかかったのでした。

で、そのカウンターの後ろで待っていた担当オフィサー、かなぁ~りインドなまりの強いインド系の方、ニコニコしながら、おはよー元気?今回はなに?なんでオーストラリアへ?と、これまたかなぁ~りカジュアルに歩きながら話しを始めてきたので、Myyもとりあえずカジュアルに簡単に、私オーストラリア人のパートナーがいるので彼のところを訪ねます、と話しました。

実はJさん、子供の時からオーストラリアに住んでいて、オーストラリアの生活のほうが長いけど正真正銘のイギリス人。あの時代に移民してきた人のなかではわりとめずらしくいまだにオーストラリア国籍をとっておりません。でも普通自分でもオーストラリア人って言ってるし、私もいちいちそれをこんな移民大国のオーストラリアで説明しても意味ないし、オフィシャルなものでなければだいたい彼はオージーということで話を済ませてしまいます。

そのインドさん(これから先インドさんでいいか?)は、この段階でもまだかなりカジュアル、なんか普通に観光客に話しかけてくる地元の人のレベルで、あ、そう彼は?どこに住んでる?今日はこのあとどこにいくの?とか付き合いは長いのかしら?というようなことを聞かれ、Myyもまたカジュアルに簡単に受け答えしつつ移動、そして入国審査エリアの端っこのほうにある長椅子に座らせられました。

ここでインドさん、ちょっと雰囲気変わりましたねぇ~。イスにすわったら急に質問攻め。彼の名前は?生年月日は?仕事は?と矢継ぎ早に質問され、ちとMyyもこれ本気ださないとなんかやばそう、って気になりましたよ。で、かんたんなJさん情報を得るとインドさんは、ちょっとまってて、といって別室へ消えました。待つこと15分から20分。長椅子にはMyyと同じようにオフィサーに付き添われてイスに連れてこられた中国人と思われるおっさんと若者、そしてその横をスイスイと入国審査を終えた人々がMyy達を一瞥し通り過ぎていきます。

ち、ち、チガウ。
わたし、違うよ。違法入国ジャない。横の人はどうかしらないけど。


一生懸命目で訴えたけど、ま、だれも気にとめてなどいなかったことでしょう。そしてインドさんがなにか紙切れをひらひらさせながら戻ってきました。そして語気荒く

あなた、違うじゃない!彼の名前は **** **** **** (ファーストネーム・ミドルネーム・ファミリーネーム) それに彼はオーストラリア人じゃないじゃない!


いやぁ、たしかにおっしゃるとうりですがね。だって雰囲気が最初あまりにもカジュアルだったから、名前はとくにミドルネームまで言わなかったし(だって普段そんなんつかわないじゃん)、国籍もきかれなかったからとりあえず普通にオーストラリアに住んでいる人っていう意味合い強く、オージーのパートナーっていったんだけどサ。

でもこれでMyyも、こりゃかなり真剣に一語一句気を付けて話しをしないと揚げ足取られて変な方向へ進んでしまうかも、と目が覚めその後の会話は結構口のなかが渇きましたね~。で、MyyとJさん両方の、住所、電話番号、仕事内容(これは二人の名刺をもっていたので両方コピー取られた)どのくらいの付き合い期間があってそれはどの程度のものなのか、など重箱のすみをつつくような感じで聞かれて、今回の旅行についてはだれと一緒でどのように過ごしていたのか、日本をでたのはいつか、などなど聞かれました。そしてまたインドさんは別室へいって数枚の紙きれをもちかえり、MyyとJさんのオーストラリア入出国履歴、そしてとくにJさんの入出国履歴についてチェックしだしました。この時、名前と生年月日ぐらいで、こんなに簡単にすぐにデータが抽出できちゃうんだ~すげ~!と思いましたなぁ~。

でもMyyもここ1年分くらいの履歴はよく覚えているけどそれ以上前は何月頃というくらいしか覚えていません。ま、それについてはインドさんもそんなにしつこくなかったけど、1年くらい前までさかのぼってのことは結構細かくきかれましたよ。ちょうどこのシドニーでの出来事の1年前には、Jさんは息子Dクンと日本に来たのですが、その時の分についてはDクンの履歴も調べたもんね。

で、なんだかんだと尋問されたのちの最後の質問は、

インドさん : じゃあきくけど、このJは今どこにいるわけ?
Myy : ええと、今っていうのは今まさにこの時間ですか?
インドさん : そうよ、そういう意味、今まさにこの時間!
Myy : えっと、この時間ですとおそらく香港からの飛行機は少し前にメルボルンに到着しているはずですから今頃メルボルンの空港で私を待っているはずです。
インドさん : (しばらくの間プリントアウトされた紙きれをながめる)          ふん、そうね、あなたのいっていることは辻褄があうわ。彼もう入国してるわね。


辻褄があう~!?私違法滞在を疑われていたのね~(・・・って最初から気づけよ~)
でもこれでやっとなんとなく解放ムードとなりいくつかのことを言われました。あなたみたいな人は観光ビザで出入りするんじゃなくて、ちゃんとした永住につながるビザがあるのを知っている?あなたは十分にそのビザを申請できる資格があると思うからできるだけ早くそのビザにアプライしたほうがいいわ。とまさにどうにかしなきゃ、とおもいつつ後回しにしていたビザのこと。そして、ずっとJさんの入出国履歴と思われる紙切れをながめていたインドさんは、彼もねぇ~、なんでオーストラリア国籍とらないのかしら?そうね、彼はそうするべきだわ、ぜひそうするように言っておいて、と言われました。 あ、そういえば最後の質問をされる前に、彼は旅行の履歴が多すぎる、みたいなこともいいましたね。

ま、はっきりいってこの辺はぜ~んぶ、あんたに関係ないでしょ、なんの問題が?って感じなのですが。だってMyyは1年有効な観光ビザを持っていて、何回出入りしようがそんなの個人の勝手、なんの違反もしていないし。Jさんがオーストラリア国民になるかならないかも個人の勝手。ま、でもこの時点ではなにをどう考えてもMyyの立場が弱いわけで、はいっ、そりゃもうおっしゃるとうりでございます。私たちもビザ申請の話をしているんで早めにやりますです。Jの野郎にはしっかりとオーストラリア国籍を検討するようにいっておきます、しかしなんであのバカ野郎はいまだにイギリス人のままなんでしょうかね、ほんとにまったく、、、すんません!という感じで受け答えをしておいた。

次のフライトは?あなた急いだほうがいいわ、といわれてやっと解放。バックをわしづかみにして去ろうとしたMyyにインドさんは、でもわかってるわよね!?あなた働いたらだめだからね!働けないのよ~~!今回のことはちゃんと記録に残しておきますからねぇ~~!と声で追いかけてきました。わかってる。結局一番の懸念は、税金払わず不法労働されては困るってとこなんだよね。Jさん、もしかしてアジア人をこっちに連れてきて働かせているブローカーと思われたかもしれないですねぇ~。
ちなみに、この時に隣に座っていた香港から学生ビザでやってきた男の子(話はぜんぶまるぎこえなんでわかった)かなり厳しく追及されていて最終的には、入国をみとめられずにこのまま国に送り返すといわれていました。 Myyも1年有効のビザとはいえ、たしかに3か月オーストラリア滞在し数週間日本へ帰国、その後またオーストラリアへ戻り3か月滞在、というパターンを2回繰り返していたらたしかにあんたなんの観光してんのサ!と疑いの目を向けられてもしょうがない、とは思います。でもこういう風にMyyが話すと100%の確率でオージー達は、そんなん関係ないし!どんな観光の仕方しようともそんなの人の勝手、そういうパターンの観光の人もいるかもしれないじゃん!とにかくビザの決まりを守ってるんだからなにも言われる筋合いないし!とMyy本人より怒りをあらわにします。こういう時に、あぁ、なんて私は人のいい相手の気持ちがわかりすぎてしまう日本人なんだろうって思いますね~、ふはは。

結局1時間ほど拘束されていたMyy。スーツケースちゃんと残っているかなとかなり心配。すっかり人がいなくなり閑散とした雰囲気のなか、カラカラカラとさびしく回り続けるターンテーブルの横で、ポツーン・・とピックアップを待っていました。そのスーツケースをゴロゴロゴロと引きずりながら国内線へ向かって走るMyy。やばい、これはホントにこれからの3か月の間にビザの申請をしないと次回はホントに入国できなくなる、早くしなくちゃ、早くしなくちゃ、早くJさんにこのこと話さなきゃ、話さなきゃ、早くしなくちゃ、早く早く、とスーツケースのゴロゴロに合わせて心の中で繰り返したのでした。

そしてメルボルンへ戻り重い腰をあげ申請へ向けて行動開始。しかしこのビザ申請の書類作成でちょっとしたことからJさんとも喧嘩になったり、そして自分でも忘れている過去の出来事を思い出さなけりゃいけないことに一苦労。 あーもう早く終わらせたーい、という気持ちでいっぱい。ストレスに弱いMyyは体重がすっかり減ってしまったのでした。・・・・・っていうのはウソだけど、けっこう疲れたね~。

まだ次回へつづくよ。読んでくれてありがとう!

欲しいものは忘れたころにやってくる <その2>

2012年の8月にメルボルンに引っ越してきた時、実は1年マルチプルの観光ビザで

入国したMyy。もちろん東京の生活にけりをつけてこっちにくるにあたっては二人で将来の設計をそれなりにして、今すぐではないけれど何年かののちには法的にもJさんと家族になるつもりで引っ越してきましたが、お互いこの年になるとおいそれと簡単に環境を変えられるわけにもいかない。もしMyyがどこかの会社の勤め人だったらまた違った方向にすすんでいたと思いますが幸い勤め人ではないMyy。どうせいずれはこうなるのならできるときになるべく早くいいタイミングで引っ越してしまおう、というわけで長い東京生活にけりをつけたのでした。

で、とりあえずてっとり早く手に入れられるビザといえば観光ビザ。取得後1年の間なんどでも入出国ができるけどただし1回の滞在期間は3か月まで、という観光ビザです。3か月ごとに出国しないといけないというのをマイナスに取る人のほうが多いかもしれませんが、Myyの場合は1年の間は3か月ごとに日本に帰るパターンで色々周りの環境を整えられるし、こりゃ幸い、しばらくこれでやっていくのがちょうどいい、そう思いました。

ま、でも本来観光ビザはあくまで観光ビザなので、他の目的で入国するのはNG。よくこれがネットでも話題になっていて、結婚が本来の目的だけどとりあえず観光ビザで入国、というパターンが多いみたいだけれど、もし入国審査の時に、それが発覚すると別室おくりの最悪その場で強制送還とか、、、諸々。まぁ、Myyもこのパターンに近かったけど、じゃほかに何のビザで入国すればいいっていうわけ?しょうがないじゃない?これしか今のところ取れないのだから。という気持ちのほうが大きかったのであんまりこういうことに関しては心配していませんでした。もし入管で問い詰められたとしても十分状況を説明できるし、、、という自信と気楽さがありまして。


で、引っ越してきて以来はやくちゃんとしたビザ(パートナー永住ビザ)の申請をしなくちゃというプレッシャーは常にあったものの、とりあえず1年の間は入出国何回でもできるし、というこれまたお気楽なところもあって、面倒なことはあとまわし。

結局ビザの申請をしたのがメルボルンに越してきてから10か月後の2013年6月末。この間日本へ帰国すること2回。ホントはこの観光ビザを保持している間あともう1回日本に帰って、その後パートナー永住ビザの申請をするつもりでした。このビザ申請時の2013年6月でJさんと知り合って約5年とちょっと。遠距離ながらも真剣交際約4年。そして同居生活はじめて10か月。

 
がしかし、、、ビザ申請の2か月前2013年4月に日本からオーストラリアに戻ってきた際、シドニー空港で予期せぬ出来事に身舞われたMyy。いやちがうな、そういうことが起こり得るとは十分承知であったけど自分は大丈夫となぜか思い込んでいたMyy。

さてなにが起こったのか?


次回へ続く。。。。

 

 

*パートナー永住ビザ

このビザについてはもちろんAUSのイミグレのサイトで読むのが一番いいけど、自分に関係ないビザのことわざわざ英語で読みたい人もいないと思って、わりとわかりやすく書いてある日本語のページをご紹介。でもこれも関係なかったら読む気がおこらないかもしれないけど。でも今後の話の参考になると思うのでよかったら!

http://www.nbca.com.au/visa/visa-type/visa-p/visa-p7.html

 

欲しいものは忘れたころにやってくる <1>

ねえさん、事件です!ってのはかなり古すぎ?
最近日本では、獣医さん、事件ですよ!とかいうのがあったみたいだけど。


昨日ですね、イミグレーションからなんとMyyのパーマネントビザが下りました~というメールが届きました。そうこれは姉さん事件です!じゃなくて、永住権だよ、おっかさん!なんです~~~。
2013年の6月末に、ビザのアプライをしてから待つこと約15か月。そして審査待ちの間日本へも帰れず。思った以上にこの自分の都合で日本に帰れないってのがストレスだったこの15か月。やっとこの縛りから解放されましたぁん!


今までビザのことや状況は、時々メールで個々にお友達や家族には報告などしてきましたが、でも実際オーストラリアのビザや社会と関係のない生活をしていたらピンとこないことだらけ、理解しがたいことだらけ、信じられないことだらけ。そしてそのために余計な心配をかけたくないし、詮索されたくないし、という思いから実は十分な説明をしてなかったと思います。だって自分がまだ東京にいた時にMyyの経験したようなビザやこの国にまつわる話を聞いたら、え?なにその話?え?って思ったと思うから。

Myyのビザは通常、アプライする → イミグレの案内によると通常審査期間は現在13か月程度、その間面接などあり → 審査OKだったらまずは暫定的な永住権が下りる → 暫定永住権取得の2年後に再度審査 → このあと晴れてほんものの永住ビザ取得


という流れなのですが、なんとMyyはこの2年の暫定永住権をスキップして永住権もらえてしまいました!結果的にスピード取得なのかも、と喜びの舞。しかも面接なかった。

 

この15か月の間、ずっとストレス感じながらすごしていたかっていうと実はまったくそうではなくて、はっきりいって普段の生活では自分がブリッジングビザで滞在してるなんてことはすっかり忘れるくらい特に制約のない日々。だから2013年6月の応募書類を準備していた時には超ストレスだったけど、それ以外は日本に帰れないこと以外は問題がなかった。あ、でも時折そういやビザどうなってるんだろう、なんの連絡もないわ、って思うとストレス感じたりして、それでネットで色々な人の体験談や口コミなどを読み気休めにしたり、暗くなったりはしたかな。

 
*ブリッジングビザ  (ビザ審査の間合法的にここに居られるように発行されている暫定的ビザ。でも仕事もフルタイムでできるし日本の国保みたいなメディケアももらえる。ま、メデイケアは実際役立たずだけど)

 

でも、もうこういうのからは一切解放されて、しかも2年後に同じようなことをやらなくていい!ってのは、ねえさん、事件です!なんですよ!

 

20云年前、初めてワーホリでオーストラリアに来た時、そりゃあオーストラリアが楽しくてその数年後には再度1周するためだけに3か月もここにきて、でもMyyの人生で一度もオーストラリアの永住権ほしいなぁと思ったこともないし、こんな立派な中年おばさんになってからここに引っ越すことになろうとも思ったことはないけれど、、、

でもやっぱりこういう風にパーマネントビザ保持者になるとうれしいです。だってこれがなかったらJさんと一緒にここで人生送るのにも支障がでてきますから。


てなわけで、、、

とりあえずこれでゆっくり日本行の予定もたてられるし、気持ち的にひと段落おちついたので、今日からしばらくの間は何回かにわけてMyyのビザ物語を書いてみようかとおもいます。家族や友達には今まで端折って説明してきたことをもう少しこれで納得してもらえるかなと思うし、そんなにドラマチックなこともないし、人それぞれの状況によって進み方や必要になってくるものも違うだろうけど、もし、だれかが同じビザを考えているひとがこれをよんで少しでも気休めになれたらいいかな、と思って。

人の体験談をそのまま鵜呑みにしたり参考にしたりってのはさすがにMyyも人生経験ある程度ある立派な中年なのでなかったけど、そういうのを読んで同じような気持ちで過ごしている人いるんだぁ、とか、やっぱり?15か月もまったく連絡ない人いるのね?と知るだけでも意味があったので。


ではまたね!うふっ <3

 

バタフライ

昨晩久々に衛星チャンネルで映画をみた。エムバタフライ。

Wikipediaから拝借しますと、

『エム・バタフライ』は、中国の文化大革命当時の史実を元に描き、トニー賞を受賞した舞台劇『M.バタフライ』を映画化した1993年の作品

 

Myyはこの映画のこと全く知らなかったんだけど、Jさんが、はやくテレビの前へきて!Myyが好きそうな映画が始まっている!といわれてそそくさと仕事をたたみ鑑賞。

最初の10分ぐらい見逃してしまったので、出だしがどうかわからないけど、Myyが見始めた時は、主人公のジェレミー・アイアンズがオリエンタルな雰囲気の街をさまよっているシーンだった。


あ~これでもうわかりましたね、なにが起こるのか。

ジェレミー・アイアンズっていっつも愛欲におぼれて身を破滅させるエリートって役どころじゃないですか?で舞台は中国。もうこれは、東洋文化、もしくは東洋女性を西洋男子的目線でいいように解釈した、東洋のミステリアスな女性との恋愛もの?

そして、すぐに映像は、ジェレミーと相手役の女性が出会うシーンとなった。

 

はい、予感的中。

 

でね、この相手役の人なんかきれいなんだけど、かなぁ~りしっくりこない。なんとなく顔がデカイ気がする、、、とか、とってもフェミンなんだけど、なんか男っぽい感じが、、、で、Jさんに聞いてみた。

Myy : この女優は美しいと思う?なんかMyyはしっくりこないわ、きれい、、、なような気はするけど、なんていうか男っぽいと思うんだけど。なんかちがうわ~。

Jさん : ぼくはまったく違うイメージだね、はっきりいって美しいと思う。(キッパリ、ここかなりキッパリと言い切りましたよ)

 

う~ん、男と女、違いますなぁ~。

欧米男子と日本女子、感じ方ちがいますねぇ~。

 

で、しばらくみていてMyyは気が付いた。これって実話をもとにした話じゃん!知ってる!この話むかしドキュメンタリー番組でみたわ!で、なぜこの映画のなかの女性がしっくりこない、男っぽい?と感じたのか納得。

 

だってこの人男だもん。で、これ実はジョンローンが演じていたんだけど、Myyは最後のシーンで彼が男装姿ででてくるまでジョンローンとは全然きづいてなかった。

 で、さっきネットでさくっとこの映画を検索してみたら、結構みんな最初からこれ女やるのむりでしょ、ごつすぎるって思っていたみたいだね。ははは。

http://www.jtnews.jp/cgi-bin/rv_1891.html

 

ドキュメンタリーを観た時もそんなこともあるもんかぁと思ったけど、なんでこの人男だってことがばれなかったかというと、この人一貫して、東洋女性のつつしみとして彼の前ではぜったいに洋服を脱ぐことがなかったし秘所を触らせることもなかったんだそうな。

で、その哀しいマヌケな恋人の男は、そういうのを100%信じて、それが東洋文化の美しさと思って尊重して付き合ってたそうな。なんていうか、、、単純にだまされて身を滅ぼしてしまったっていうのはもちろん哀しすぎる(マヌケすぎる)んだけど、ずれた東洋文化の解釈をしてた、っていうか、自分の都合のいいように東洋文化を美化してしまっている姿っていうか、、、そういうのがイタイなぁ、、、って思って。


ではここで、三島由紀夫語録のなかのMyyが好きな一文。

外人がわれわれの国の踊りなり芝居なり美術品なりのイカモノに感心しようとしているとき、「あれはニセモノだよ」と冷水を浴びさせてやるくらい愉快なことはない。


さすが三島先生です。拍手喝采。

イベントとMyyの意地

なんかだぁ~れもこのブログ読んでないだろうなぁと思ってまたしばらく放置していましたが、時々気にして見に来てくれているお友達がいると知って今日ここにやってきました。これからもこりずに付き合ってね。
 

最近のMyyの頭の中の一部をご紹介。

 

1,クリスマスケーキ早く作らなくちゃ。
こういうやつよ、数か月まえから準備しないとおいしいのができないの。

 2,クリスマスプレゼント今から悩む。

3,クリスマスのテーブルデコレーションはどんなふうにしようか。

4,クリスマスリース、今年は自分で作ろうかな。

5,今年はミニ・クリスマスプディングも作りたい。
(こういうやつ、ブランデーがきいてておいしー)

 

とクリスマスにまつわること。

 いやでしょ~~~!!!めんどくさ~~!!まったくなんでこんな面倒なことやんなきゃいけないんでしょうか。だってこんなの基本私の文化にないし。

でもこの文化圏で生きていくにはしょうがない。家族の一大イベント。

で、やるからには最大のパフォーマンスをしたいと思う、意外に完璧主義なMyy.

オッツホッツホ。

実はうちは、毎年9月から10月は、家族イベントが多くてはっきりいって面倒なんです。面倒とはいっても毎回イベントが終わるたびに、楽しかった~いい日だったよねぇ~といい気分にはなるんだけど、その前がね~。さっきもいったようにMyyは実は完璧主義だから。カラカラカラ(乾いた笑い)

ほぼ毎週ミーはケーキつくってるんですよ。誕生日3回、そして父の日もあるから。そのたびに違うケーキ考えないといかんですよ。あ、それとプラスそれぞれにプレゼントね。ま、父の日は私プレゼントは用意しないけど。

 で、そういうのに挟んで、ほかにもちょっとした社交行事がはさまれ、AFLのグランドファイナルデーがあったりとか(過去の記事参照してくだされ)などがあるから。。。 

でこういう調子でクリスマスまでずっといつもプレゼントとか料理とか考えながらやっていくんです、これから年末まで。

 

はっきりいって。。。

 

めんど~~~だわぁ~~~。

 

それよりも一切そういうのをスキップして年末年始は日本でぬくぬくしていたいってのが本音だけど。クリスマスになんの思い入れもないのに力注ぐって結構しんどいよ。

 

でも去年のクリスマスに親戚たちから、ミーは日本人なのにちゃんとここのクリスマスを理解してこんなにいろんなことができるなんてすばらしい!と感心されまくったので今年は必ず去年よりできばえのよいクリスマスケーキ、そしてミニプディングを作って去年にもましてミーの株をあげるのじゃ、ふぉっつふぉっつ!ま、料理好きだしね。面倒とはいいながらも結構はりきれちゃうんだよね。

 

、、、って、結局はおだてられると木に登る、お調子者ミーなのでしたぁん。

 

只今色々とレシピを研究中。ふはは <3

ハルキスト

10代後半から20代前半の頃、村上春樹が好きだった。強烈なハルキストというほどでもなかったけどね。エセ・ハルキストとでもいいましょうか?でもあの“ノルウエィの森”が赤と緑の装幀上下巻で出版された時(なんと1987年だったのね)あれを読み終えてMyyは村上春樹はもう読まないと思った。村上春樹の作品はノルウェイ~後の活躍のほうが有名なものが多いのだろうけど、Myyの中ではノルウェイの森で村上春樹はおしまいな感じとなった。

2000年代にはいっていつだったか覚えてないけど、またノルウェイの森がブームになって、そういうのを、チッツ!今頃みんななんなのサ!と思った覚えがありますが、それよりその時だれか若い子とこの本の話になって、その子が “ええッ!ノルウェイの森ってそんな昔の本なんですかぁ?”といわれ愕然とした。

、、、ってなんで村上春樹の話しているかっていうと、しばらく前に衛星チャンネルで放送されていた映画ノルウェイの森の録画を昨日観たからさ!

映画を真剣にレビューしようとするとこのブログも炎上(?)してしまうかもしれないので特に書きませんが。トラン・アン・ユンの映画らしくMyyはこういう映像はすごく好きなんですがね、本の解釈も色々人によって違うだろうけど、でも本読んでない人がこの映画みるとどんな感想なのかなぁ~って思うなぁ~。とうぜんJさんには理解しがたかったみたいだねぇ~ぶわっつはっつはっつ!


なんか村上春樹にまつわる本や昔のことを考えていたら、エセ・ハルキストMyyは春樹作品のなかの特別に好きな一節を思い出した。

“自己表現が精神の解放に寄与するという考えは迷信であり、好意的に言うとしても神話である。少なくとも文章による自己表現は誰の精神をも解放しない。自己表現は精神を細分化するだけであり、それはどこにも到達しない。もし何かに到達したような気分になったとすれば、それは錯覚である。”

当時、悩んでいることがあったり、なにかに対しての疑問や怒りがあると、そういったことをカキカキしていたノートがあったんだけど、これを読んだ時に、確かにそうだなと思った記憶がある。でもそれから何年もたった今でも、やっぱりこんな独り言ブログでなにかしら愚痴だったり思い出したことを書いて気分がスッキリするんじゃないかと思って書いている。
 そしてMyyの好きなこの春樹の一節はこういう風に続く。

“人は書かずにいられないから書くのだ。書くこと自体には効用もないし、それに付随する救いもない”

そうなんだよね、人様の面白くて読むのをやめられないブログも、なんのポイントも見えてこない面白くないブログも、すべてのブログはみな書かずにいられないから書いているんだよね。(あ、それからFBの投稿もね。投稿せずにはいられないんだよね。)

ってなわけで、Myyもこれからも勝手気ままに書かずにいられない時に書いていきますわ。よろしく。ムフッツ。

 

続・チラシの裏的な話

ぁあ~、なんかふざけたおっさんのことを思い出したら、脈略なくほかにもいろんな人を思い出してしまったので書いてしまいます。やはり仕事の関係の50代前半の女性で、高額なファッション関係のお品を扱うショップのオーナー。そのお店のお客さまもある特定の業界の人が多くて、なんていうかお嬢様&奥様ばかりを相手にお商売していらっしゃるOさん。頭にきた!とか嫌なオバハンだった!とかではないんだけど、当時ほんとにOさんとの仕事上でのおつきあいではがっくりさせられることが多くて疲れた。

繰り返しますがOさんは決して嫌な人じゃやないんですよ! むしろ人がいい、話好きで、気持ちも体力もかなり実年齢よりお若くてだれとでもすぐお友達になってしまうタイプの方。出会う場所や状況が違ったら、あら、さっぱりしてて付き合いやすい方だわって思ってたと思う。

でもね、なんていうんでしょうか、、、そんなOさん、すべてが“主婦”感覚。

主婦がわるいといっているわけではないし 家庭内でのことだったらああいうのもアリなんだとおもうんだけど、なんつーか仕事のやり取りなんだけど、まるで近所のスーパーのチラシを突き合わせてどこの店が大根安いかしら?!奥さん、今日はこっちの店のほうが10円やすいわよ!あらでもこっちはポイント2倍デーよ!とかいう話をしている気分にさせられることしばしば。そりゃあねぇ、、、経費節約も大事なんだけどサ。

Myyはそのおばさん(もういいか、これ以降おばさんでいきます)の店に商品を納入していたので、きまった時期におばさんの店からの支払を受け取っていたんだけど、普通に銀行口座へ振り込みしてくれるのかと思いきや、振り込み手数料が“無駄”だからMyyさん集金にきてぇ~!って。

これ普通ですかね?そんなに交通費がかかる場所ではなかったけど、その店に行く時間、交通費、等々Myyだって経費かかってるんだけどさ。それってはっきりいって現金に換算したらその“無駄”な振り込み手数料の何十倍?って思うけどさ。

ま、でも、お店の様子を見に行くってことも必要だから、集金はついでね、つ・い・で!と言い聞かせ、たいしたことではないと思うようにしてたさ。


それから、こんなこともあったな。

ある日、相談したいことがあるので店に来てくれないか?この日のこの時間でお願いしたい、とメールがきた。 一人で接客からなにから店を切り盛りしているおばさんの都合を優先させてMyyはそのおばさん指定の日時で了解し、当日店へ向かった。

すると一体全体どうしたことでしょうか?店のドアにはかっちり鍵がかかっていて静かなご様子。もしかして急な用事でちょっと店でなきゃいけなかったのかもな、5分から10分ぐらいこのまま店の前でまっていよう、と思ったMyyはそのままドアの前で待った。10分まってもなにも変わらない。これはおかしい。おばさんの携帯に電話すると留守電。

えぇ~ちょっとまってよ私が時間まちがった?いやまちがってないよねどうしよう~。私だって予定あるし、、、と思ったその時にMyyの携帯へおばさんからのメッセージが届いた。急な商談で六本木まででかけていた。今店にむかっている。只今麻布を過ぎたところ。大変もうしわけないがもう少しまっててちょ!という内容。

ソウッスカ、しょーがないっすね。また別の日に出直すのはもっと面倒。では待っていましょう。でもまあ、約束の時間を過ぎたこの時点でこういうメールを送ってくるよりも、六本木の予定が入った時点で、今日はこのような状態となったので約束の時間を変更してほしい、とか、もしくは、約束の時間のちょい前に、今こんな状態でいるのでわるいがちょっと待っていてほしい、とか時間変更してほしい、とか、そいう連絡をくれるのがフツーだと思うけど、ちがうんスかね?

でもね、この話まだ終わりませんよ~。

おばさんの行動にはなんか納得いかないながら、六本木、麻布、ということから、帰路の交通手段や時間が容易に想像できるMyyは、だいたいこの時間には店にもどってくるな、という時間をみはからって店に戻ってくることにした。その間約30分から1時間ぐらいの間でしょうか?飲みたくもないコーヒーを飲んで時間をつぶし、もう戻ってるはずでしょ!という時間に再度訪問するとまたもや留守。でももうこの時点ではぜったいおばさんがかえってくることはわかっていたので、我慢してまたドアの前でまっていた。

そしたららしばらくして、とおくから満面の笑みを浮かべたおばさんが余裕綽綽でこちらにあるいてくるのが見え、Myyに気が付くと、“Myyさぁ~ん、ご免なさいおそくなっちゃってぇ~”とぶんぶん手を振りながら近づいてくるではないですか。
まずMyyはその何の疑いもない屈託のない笑顔にやられましたな。だってなんでこの状況で笑っていられるのか。普通お待たせしてすみませんっつ!って申し訳ない顔するでしょ!それに歩いてないで小走りするでしょ!小走りですみませんっつ!<(_ _)>じゃないの?


おばさん : “ごめんねMyyさんおそくなっちゃって。あのメールした時はバスのなかだったのよ”


Myy : (なヌ?バス?)


おばさん:あのあと渋谷までいくバスがすごい渋滞しちゃってなかなかすすまなくてさ


Myy ええ?バスで移動してたんですか?だって地下鉄のほうが早くて楽じゃないですか?”(なに言ってんのこの人?なんで急いでいるときにぶらりバスの旅みたいなことやってるのこの人?なになに?なんなの?)


おばさん: そうそう、そうなんだけどね!バスで渋谷まで行ってあとは電車で移動したほうが 何十円か安いのよね(おばさん満面の微笑)


Myy : 。。。。。。。。。。。。。。。

 

約束の時間の時点でまだ六本木を出たばかり。そしてその時点でMyyが店の前で待っているということをしりながらたったの数十円安いからといって、あえて時間のかかる方法で帰ろうと思うその精神。

そしてそれをなんの恥じらいもなく、疑いもなく、むしろ自慢げに話すこの人って一体全体なに者?やっぱ人のことをゴミだと思ってんだろうなぁ~。それ以外考えられない。

 

ま、世の中いろんな人がいますな、というお話でした。